ばくち打ち
第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(5)
大陸からの観光客はたしかに激減したのだが、どういうわけか除夕はまだレストランもホテルも盛況だった。
その夜は、半島側に脚を伸ばし、グランド・リスボア裏にある『老記海鮮麺粥店』で、良平は『王宝和』の紹興酒を一人でいただいた。
あては、カニの内子と蝦餃。
年代物の老酒は、胃粘膜にじんわりと染みわたる。
この年はよかったのか、と老酒の30年ものを片手に、良平は回顧した。
まあまあ、大きな損失も出さずに、よく闘ったのだろう、と良平は思う。
優子という良きアシスタントも得た。
そのうちに「新型肺炎」がマカオ経済を蹂躙するだろうことは、予測されていた。
まさにそれゆえ、のちのマカオ政府は、春節明けにはカジノ・ハウスの15日間にも及ぶ全面閉鎖を決定したのである。
地域経済を守るため、地域経済の根幹部を封鎖する。
恐ろしい決断だった。
しかしそれをやってしまうのが、マカオ政府である。
シメのカエルのお粥は、良平の好物だ。
大匙一杯の秦醬(タイチュウ)をかけ、良平は粥を啜った。
大量の汗が噴き出す。
『天馬會』から『三宝商会』買収で提示された金額は、3000万HKD(4億5000万円)だった。ただしその提示金額には、『三宝商会』が有する不動産等の資産は含まれないはずである。インタンジブル、砕けて言えば「のれん代」が、その提示金額だ。
『三宝商事』は有限会社ゆえ、税務関係以外での決算報告義務はない。
したがって、他社に資産内容の全体を把握されるおそれもなかった。
中国共産党中央執行委員会指定の「黒悪勢力」排除通達が出て、ジャンケット事業者の市場価値は激減した。
日本のそれとはどうあれ、大陸の「黒悪勢力」とは無縁だが、『三宝商会』でも、おそらくその市場価格は半値以下となってしまったのだろう。
1000万HKD(1億5000万円)という捨て値で売ったとしても、じつは良平の手元には、『三宝商会』所有の海南島やコタイやコンロン地区の不動産が残った。
あれはいったい、いくらぐらいになるものなのか?
コロナ・ウイルスの影響で、マカオの不動産価格総崩れとなっても、5000万HKD(7億5000万円)を下ることは、まずあるまい。
なにしろレンタル収入だけで、年300万HKD(4500万円)を上げてくれるのである。
その他、『三宝商会』の細かい資産まで合わせれば、どう低く見積もっても、良平の手元には7000万HKDから8000万HKDが残るはずだ。日本円にすれば、10億円前後となった。強気に試算すれば、ゆうにその倍はある。
博奕(ばくち)を打てば、すぐに消えてしまう金額かもしれないが、打たなければ、結構なものだった。
15年強、いや東京の本店から香港に異動させられた時点から数えれば、20年間の労働の成果である。
ひゅ~っ。
老酒のグラスを握ったまま、都関良平は音にならない口笛を吹いた。
さてそれをどう遣うか、だ。
前年に良平は50歳となっていた。そろそろ先が見えてくる。
時間は、あまり残されていなかった。
『王宝和』の30年ものを、良平は甕(かめ)からグラスに注いだ。ねっとりとした琥珀色の液体である。(つづく)