第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(6)

 新型コロナ・ウイルスの影響で2月5日よりマカオのゲーミング・ハウスは、政府命令で閉鎖された。

 その営業停止命令は、20日午前0時で失効し、39あるカジノのうち29のハウスが営業を再開したのだが、開けたところでもテーブルはほとんど稼働していなかった。

 超大手のサンズのコタイ・セントラルと同様に、都関良平のオフィスがあるハウスも、さらに30日間の営業再開延期を申請し、それが澳門博彩監察協調局(DICJ)によって許可された。

 オープンしても、なにしろ客が来ない。

 MGMマカオの試算によれば、ハウスを1日閉鎖すると必要経費だけで約2000万HKD(3億円)の支出があるそうだが、営業再開しても客がいなければ、さらにその損失は膨らむ。

 だから閉めたままにしておくのである。

 マカオの地元大口客は、VIPフロアでも(たとえば『金御會』のような)特殊なフロアでバカラのカードを引く傾向が強い。したがって地元の大口客を握っているハウスだけは、営業再開したら、なんとか息がつけるくらいの収支はあった。

 一方、大陸を含み海外からの打ち手を主な客層としているハウスは、営業を再開しても仕方がない。経費が嵩んで、自らの首をさらに絞めるだけだった。

 ジャンケット事業者のほとんどは、2月20日から営業を細々と再開している。

 自分のホーム・グラウンドは閉鎖しているので、良平は勉強のため開いているハウスを回ってみた。

 ウィン・マカオにある廣東集團(Guangdong Group)と大衛集團(David Group)のジャンケット・ルームだけには、どこでどう手配したかは不明だが、客がけっこう入っていた。

 その他のハウスでは、ジャンケット大手でもほぼ壊滅状態である。

 良平はホテルに戻ると、オフィスの大窓から夜の海を眺めた。

 海峡を越せば、マカオ半島だ。

 ハウスは閉じていても、ネオンの輝きが夜の海峡に映えていた。

 コニャックの力で、まとまらない思考を無理矢理まとめようとする。

 良平の頭に、なぜか『三人吉三巴白波(さんにんきちさともえのしらなみ)』のお嬢吉三が湧きあがった。

 ――月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持ちよくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟(あわ)、思いがけなく手に入(い)る百両、ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ。

 季節に溢れた名文句である。

 だから『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつかい)』は2回しか観たことがなかったのだが、良平は台詞を暗記してしまった。

 さて、春節も終わり、

 ――こいつぁ春から縁起がいいわえ。

 なのか?

 どうもこの年は、春から縁起が悪いことばかりが続くような予感がした。

 そして、ギャンブルという場では、いいほうの予感は当たらなくても、悪いほうのそれはほぼ間違いなく的中してしまうのである。

 なみなみと注いだコニャックを、良平は一気に嚥下した。

 熱い塊が、食道を通り抜け胃に落ちる。

 思わず、ぶるっと身震いした。

「いいですか?」

 オフィスのドアが開いて、優子が入ってきた。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。