ばくち打ち
第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(7)
優子にとっても自分のオフィスであるのだから、「いいですか?」はなかろう。
もっとも、傍から見る良平の状態がそれほど尋常ではなかったのか。
優子はジャッキーと二人で行った北海道の温泉巡りから、一週間ほど前に帰ってきた。しかし、戻っても仕事はない。なにしろ仕事場が強制的に閉鎖されていた。
強制が解けても、それからさらなる30日間の営業自粛。
――給料は支払うから、そのまま休暇をつづけたら。
と良平は優子に勧めたのだが、
――いったんマカオを出ると、もう戻れなくなってしまうかもしれません。
と優子は応えた。
この優子の予想は、的中する。
のちにマカオ政府は、出入境制限令を出した。
中華人民共和国澳門特別行政区は、半島部と島嶼部を合わせても30平方キロに満たない極めて小さなエリアだ。
そこに超高級から庶民向けまでの、ありとあらゆるホテル・酒店・飯店やレストランが林立しているから広いと感じるだけで、域外からの入境がぴたりと止まれば、元の小さな半島・島嶼に戻ってしまう。
春節後のカジノ閉鎖令でほぼ閉じられていた繁華街の商店や飲食店も、ぼつぼつ開きだしたのだが、ほんの数か月前まであったあの生き馬の眼を抜くごとき街のダイナミズムを、まったく失っていた。
狭いアパートメントに閉じ込められているとするなら、若い人たちには欲求不満で爆発しそうになるのかもしれない。
「優子さんも飲む?」
良平がヘネシーXOの瓶を持ち上げた。
「はい、わたしもいただきます」
と素直に優子。
コニャック・グラスを渡せば、優子はすぐに口をつけた。
「ちょっと、お話しづらいのですが、思い切って言います」
と、唇をコニャックで濡らした優子。
ああ、これは彼女の雇用にかかわる話だ、と良平は察する。
「ジャッキーくんが、独立します」
「大口の打ち手が死に絶えた、この時期にかね」
「ええ、危機のときにこそチャンスがある、と考える人なので」
「逆張りか」
良平はつぶやいた。
「雪に囲まれた定山渓の露天風呂に浸かりながら、二人でいろいろな可能性を検証しました。ジャッキーくんが『天馬會』で抱える客だけで、充分に回せます。それにわたしのお客さんも加えれば……」
「それは、『三宝商会』の客のことなのだけれど」
「ええ、だから良平さんにスジだけは通しておこう、と思いました」
しっかりした客を抱えるカジノのホストやジャンケットの職員が、転職する。
それも激しく入れ替わる。
よくあることだ。
転職先だって、ほとんどの場合、そのホストや職員が欲しいのではなくて、そいつが抱える客が欲しいだけなのだから。
そうではあっても、優子はこの稼業を始めて、まだ10か月ほどしか経っていなかった。
それだけ優子は優秀な職員だった、ということなのかもしれない。
いや、登録上優子は『三宝商会』の役員だ。
いずれは去るのだろう。しかし、早すぎる。
良平の正直な感想だった。(つづく)