第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(9)

 法律というややっこしいものができてからでも、場合によって捕縛されれば死罪になるかもしれないのに、ヒトは博奕を打ちつづけてきた。

 なぜか?

 ヒトは賭博をする動物、だったからである

「もう一杯、いただいてもよろしいですか?」

 優子が、空になったコニャック・グラスを持ち上げた。

「もちろん」

 良平は優子のグラスに、なみなみとヘネシーのXOを注ぎ足す。

 この夜は良平も酔ってしまいたい。

 そもそもジャンケット営業が、いつ再開できるかもわからないのである。

 3月末になると、1か月の休業の特別延長を申請していたカジノも、表面上はすべて営業を再開している。

 しかし、1日10万人を超えた訪澳客は、なんと300人台まで落ち込んでいた。

 これでは大手ハウスなら、確実に一日で数億円相当の赤字を出す。

 ヴェネシアン、COD(シティ・オブ・ドリーム)の超大手クラスなら、日に10億円相当の損失を弾き出すのだろう。

 しかしカジノ・コンセッション(=ゲーミング・ライセンス)では、

「1日24時間・年365日の営業」

 が義務付けられている。

 新型コロナ・ウイルスでの2週間休業およびその後の(申請による)30日の営業休止は、感染拡大を防止するための政府側の緊急措置であり、ハウス側のそれではなかった。

 したがって、特別休止期間が終了すると、コンセッション・ホルダーの事業者各社は、カジノをオープンせざるを得ない。

 当たり前なら各ハウスを合計すれば、一日延べで数十万人が入場するカジノに、300人ほどの客?

 商売になるはずがなかった。

「この惨状で営業再開ができたとしても、優子さんにお客さんを持っていかれたら、泣きっ面に蜂だ。だからといって、ジャッキーの独立に従うあなたの退職を止める権利は、わたしにはない」

 まあ、黒社会に繋がる大陸のジャンケットあたりなら、ここは血を見るシーンなのかもしれないが、良平はあくまでビジネス・パーソンだった。やっていいことと悪いことの分別はある。

「ですから、わたしたちの新会社が『三宝商会』にのれん代を出すようにして、円満にことを収めたいのです」

 あたらしいコニャックで唇を濡らした優子が応えた。

 半年前に『天馬會』から提示されたのれん代が2000万HKD(3億円)だった。

 あれから新型コロナ・ウイルスによる壊滅的な攻撃を受け、カジノ業界は極端に収縮した。

 最大手のSANDS CHINAの株価など、最盛期のほぼ3分の1まで下げていたし、その下落傾向にまだ歯止めはかかっていない。

 北京政府中枢と切っても切れない繋がりがあり、中国経済の回復とともに大きな収益が期待できるSANDS CHINAでも、このありさまだ。

 他のカジノ事業者の窮状は、推して知るべし。

『三宝商会』ののれん代は、2か月前で1000万HKDあたりだと良平は推計していたが、さて現在ではいくらぐらいのものなのか?

 いやそもそも値がつくのかも、良平には不明だった。

「よし、わかった」

 良平は大量のコニャックを嚥下すると、優子を正面から見据えた。

 アルコールのせいなのか、優子の瞳が濡れて妖しく輝く。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。