ばくち打ち
第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(10)
ヘネシーXOのボトルには、すでに3分の1ほどしか残っていない。
封を切ったばかりのボトルだった。
よし、今夜は酔い潰れるまで飲もう。
良平は自らのグラスに大量のコニャックを注いだ。
「のれん代って、どれぐらいを用意するつもりなの?」
一応、良平は訊いてみる。
「500万HKD(7500万円)までなら、いますぐにでもキャッシュでお支払いできます。それ以上となると、営業が始まってからの月払いとしてください」
「『天馬會』のジャッキーは、そんなに貯め込んでいたのか」
意外だった。ジャンケット関係者は怪しげな投資話、あるいはギャンブルに費やして、ピーピーと泣いている連中が多かった。有能な者でもそうである。いや、有能な職員ほど、怪しげな投資話に手を出す者が多かった。
非日常の金額がやり取りされる日常を仕事場とすると、どうしてもそうなってしまうのか。
それにしてもこの惨状で、『三宝商会』ののれん代として500万HKDのオファーは、たいした度胸だった。
「いえ、ほとんどはわたしのおカネです」
と優子が付け加えた。
これは、「えっ」である。
もちろん良平は優子に、そんな金額が貯まるほどの給料を支払っているわけではない。
「バカラ大会の準優勝で頂戴した200万HKD(3000万円)がありました。あれを原資として、ジャッキーくんにも言わずに、一人でバカラを打ち始めてみたのです。そもそもバカラのルールも満足に知らない自分が、準優勝して得た賞金でした。負けて、元々。そう思って、いろいろなハウスを回りました」
優子のグラスにコニャックを注ぎ足したら、ボトルはちょうど空になった。
優子が席を立ち、ワイン・キャビネットから、新たなヘネシーのボトルを取り出す。ついでに冷蔵庫に寄って、皿の上にチーズとレーズンを用意してくれた。
「長い間、勝負卓に坐っていれば、必ず負ける。これまでお客様たちの打ち方を観察して、わたしが得た結論でした。だからメガ・ハウスにある数十台のバカラ卓でいい目が出ているテーブルが見つかるまで、しつこく飽きずに探し回るのです。そして、ワン・クー10万HKD(150万円)のベット。当たれば、そこでストップ。外れればダブルアップの20万HKDでフォローします。それも外せば、打ち止めです。勝っても負けても、一手か二手だけ。次のハウスに向かいます。ほとんどは勤務明けの朝方となってしまったのですが、それを懲りずに毎日3ハコ繰り返しました」
「それで、勝てたのか」
「それは、勝ったり負けたりしますよね。でも偶然だったのでしょうが、勝利の方が多かった。いつの間にか、準優勝でいただいた賞金が、2倍以上になっていました」
純度の高いアルコールで眼を濡らした優子が、妖しく微笑んだ。
博奕(ばくち)に勝ちたければ、勝利の方程式を忠実に守るしかなかろう。
迅速に、集中的に攻撃する。
戦力の分散、小出しをしてはならない。
確実に負けるのは、テーブル・ミニマムの金額でフラット・ベットを繰りかえしている連中である。(つづく)