第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(11)

 だらだらと博奕(ばくち)を打てば、構造上ゲームに組み込まれた「控除」という罠に、打ち手は必ず絡めとられてしまう。

 だから、迅速に集中的に攻撃を仕掛ける。

 良平の言葉では、「一撃離脱」。

 博奕において、戦力の逐次投入は、いわば敗北の方程式。厳禁だった。

 待って待って待ち抜いて、ここぞという瞬間に戦力を集中し投入する。

 どかん、と行く。

 日本の非合法の賭場(どば)で言われる「行き越し」である。

 勝負卓でフラット・ベット(=賭金量に変化がない賭け方)を続ける打ち手たちは、短期的にはどうあれ長期的には例外なく負ける。

 これは博奕だけではなくて、国家間の戦争でもそうなのだろう。クラウゼヴィッツの『戦争論』では、同様に論じられた。

 戦力を集中し、迅速に、鎖の弱い部分を攻撃する。

 どんなに頑丈な鎖でも、その一番弱いつなぎ目分しか強くないのだ。

 一点突破全面展開。

 それを飽きずに繰り返す。この「繰り返す」という部分が重要なのである。

 博奕における勝利の方程式だった。

「ヒラ場でのプレイですから、わたしの顔は知られていません。それで多くのハウスからVIPカードをもらっちゃいました」

 優子が艶(あで)やかに笑った。

 メガ・ハウスの一般フロアとVIPフロアでは、マネージメントも異なるし職員も別だ。この2セクションは、職員間の交流もないところがほとんどだろう。

 ヒラ場で一手10万HKD・20万HKDで打っていれば、サヴェイランスからの連絡が入り、そりゃVIPホストが駆けつける。

「わたしは最多で二手勝負ですから、VIPカードをいただいても、プレミアム・フロアで打つつもりはありませんでした。不思議なのですが、ヒラ場の方が目が素直に感じます。選択できる勝負卓が多いから、そう感じるのかもしれません。大切なのは実際にどうかということより、そう感じてそれを信じることなのですね。信じられるから、わたしみたいな者にとっては大金の10万HKDを、丁と出るか半と出るかまったくわからないものに、思い切りよく賭けられます。おまけにヒラ場なら、わたしのことを知っている人もいないことですし、格好をつける必要がありません。まわりのおじさんおばさんに混じって、好き勝手なことができます」

「確かにヒラ場は打ちやすい。ジャンケットにせよプレミアムにせよ、それらのフロアには眼に見えない罠がいっぱい仕掛けられてある」

 自分の職場だ。良平にせよ優子にせよ、そこいらへんはよく心得ていた。

 部屋持ちのジャンケット事業者はほとんどのケースで「勝ち負け折半」勘定(つまり、客が負けてくれた方が、実入りがよくなる)だから除外するとすれば、コミッションで喰うジャンケットたちは、その罠に引っ掛からないよう、いかに客を誘導するかも、仕事の重要な部分である。

「1年間足らずでしたが、その罠に嵌まってしまったお客さんたちを数多く見てきましたから」

 優子がグラスに残ったコニャックを飲み干した。

 崩れない。

 酒に強い女性である。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。