日本の文化 本当は何がすごいのか【第2回:桜と日本人】
花は桜木
日本人にとって花は梅ではありません。バラでもありません。なんといっても桜です。 桜はパッと咲きます。一時期に一斉に咲き誇ります。その様はまさに爛漫そのものです。そして、一時期にパッと散ります。散っていく様はあっという間です。そして、散ったあとの桜はどうでしょう。なんの変哲もない平凡な樹木と化します。見ようによっては、無残ともいえます。 この変化の激しさ、落差の大きさ、これが日本人の心に響くのです。桜を愛でるのに、一種の感慨を伴った悲しみといったものを覚えずにはいられません。日本人ならではの美学といえましょう。 自然は常に美しく存在して人間に恵みを与えてくれるものではありません。地震、台風、津波など、人間にダメージを与え、不利益をもたらす災害の元でもあります。時間の推移の中で変化して存在するものです。これを感じ取る心が自然信仰、神道の根源です。桜はそのことを典型的に表現するものなのです。 爛漫と咲き誇る桜は祝祭的です。それを愛でるというのはただ花の美しさを楽しむだけではありません。自然の心をつかむことでもあるのです。 『源氏物語』に「花の宴」の巻があるように、満開の桜の下では人々が寄り集まって宴を楽しみます。いまではただ酒を飲み、ご馳走を食べ、歌い騒ぐのがもっぱらになっている趣ですが、それだけではありません。時代によって連歌の集いや俳句の会が盛んに開かれました。そしてそこから 侘び寂という日本特有の美学が確立していきました。これは常に一定ではない自然を感じ取る心のなせる業です。華やぐ桜が侘び寂の心につながっているのは、日本人の文化的な特性をよく反映していると思います。桜と大和心
桜にはこういう側面もあります。桜見物に一人というのはあまりありません。何人かで連れ立って見ます。また見られる桜も、一本というのは滅多にないことです。桜並木であるとか、「吉野千本」といわれる吉野山の桜であるとか、複数が群れているのが普通です。 これは日本人の共同体意識の表れだと思います。日本人にとって桜は共同体を象徴する花なのです。一斉に咲いた桜が一斉に散る。そこに日本人は共同体のために死ぬ、共同体と共に死ぬイメージを重ね合わせます。だから、国のために命を捧げた特攻隊の死を「散華」というのは極めて自然なことなのです。 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 有名な本居宣長(1730~1801、江戸時代の国学者)の歌ですが、この「大和心」は共同体の心にほかなりません。 なんといっても日本人には桜が似合います。 また、桜が似合う日本人でありたいものです。 (出典/田中英道著『日本の文化 本当は何がすごいのか』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』(いずれも育鵬社)ほか多数。
『日本の文化 本当は何がすごいのか』 世界が注目する“クールジャパン"の真髄とは |
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