日本の文化 本当は何がすごいのか【第6回:庭園と日本人】

庭園と日本人

ベルサイユ宮殿の庭園

ヨーロッパの庭園

 ヨーロッパの庭園といえば、ベルサイユ宮殿の庭園が思い浮かびます。あれを見れば日本の庭園とは違うと、誰もが強く感じることでしょう。徹底して左右対称が貫かれ、地平線まで続くような平らな空間が延びています。植え込みは幾何学的に刈り込まれてシンメトリーを強調し、樹木も直線や円状など規則性をもって配置されています。また、草花さえも自然ではあり得ない色彩の配置になっています。
 
 ヨーロッパで十七世紀からたくさんつくられたバロックやロココの宮殿の庭園は、このベルサイユ宮殿の庭園のつくり方を基本的な原則にしています。
 
 そこにあるのは強烈な人工性です。人間の力で自然を超克し、支配する。そこに美がある。そこに美を見る。自然を人間と対立するものとしてとらえるヨーロッパ人の感性が、人間が自然を支配したところに美を感じさせるのです。自然には存在しないシンメトリーを庭園の基本デザインにしているのは、その端的な現れといえます。
 
 だから、山や丘などの自然の地形は、美を乱すものでしかありません。山は突き崩し、丘は削り取って平らにしてこそ、美が出現するのです。
 
 もっとも、ヨーロッパの庭園でもイタリアのそれはフランスとはちょっと違っています。おしなべて規模は小さく、自然のままの山や丘を取り込んでいます。これは多分に平原が多いフランスとは違った、イタリアの地形の特徴からくるものなのでしょう。
 
 しかし、自然を克服し、支配したところに美を見るという感性は同じです。それを表すのが噴水です。自然では水は上から下に流れるもので、その逆はありません。噴水はその逆を実現しています。噴水がヨーロッパの庭園の重要な装置である所以です。

日本の庭園

 このように見てくると、日本の庭園の姿は歴然です。自然をそのままに取り込んで、小川は自然そのままにくねって流れ、その小川が流れ込む池も自然そのままのたたずまいです。植生も自然の中に見られるように配置され、枝振りも自然です。そこには自然がありのままに再現されているかのようです。
 
 しかし、日本の庭園も人間の手でつくったもので、人工には違いありません。わざわざ土を盛って山をつくったり、平地を削ってなだらかな斜面をつくったりもしています。樹木も剪定され、形が整えられています。
 
 日本の庭園のつくり方は、どこまでも自然に似せる、自然に近づけるのが要諦なのです。徹底して作為を感じさせない、作為を隠すのが原則なのです。
 
 これは日本人と自然の強い親和性から出てきたものです。日本人にとって自然と人間とは対立するものではなく、自然は人間の一部、というより人間は自然そのものなのです。この感性があくまでも自然に似せた庭園をつくり出しました。それが自然に近ければ近いほど日本人は美しいと感じ、気持ちを安定させることができます。日本の庭園は日本人の心の結晶だといえます。

枯山水

 日本式庭園の一つの形式に枯山水があります。砂という素材だけですべてを造形する枯山水は人工そのものです。ですが、枯山水の庭園から強い人工性は感じられません。砂を盛って円錐形の山をつくり、砂に箒目を入れ、配置された石にぶつかって流れを変えたりうねったりする水を表現します。しかし、枯山水はこれだけではありません。その背景には必ず借景があります。その借景と枯山水を一つにしてとらえるとき、砂でつくられた紛れもない人工物である枯山水が、自然以上の自然、というよりも自然の本質を鋭く表出して立ち現れ、そこに日本人の心は美を感じずにはいられないのです。
 
 借景という絶妙の仕掛けを編み出した枯山水もまた、日本人ならではの心の表出です。
 
(出典/田中英道著『日本の文化 本当は何がすごいのか』育鵬社

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』(いずれも育鵬社)ほか多数。

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