映画「闇金ウシジマくん」が描いた自由と閉塞感は何かに似ている
2010年から毎日放送で放送された『闇金ウシジマくん』。深夜時間帯放送の30分ドラマながら、2016年にseason3が放送され、映画も本作含めて4作公開されたヒットシリーズだ。「で、いくら欲しいの?」と、光のない目で問いかける山田孝之演じるウシジマくんを見て、「闇金まじ怖い! ダメ絶対!」とビビった人も多いだろう。
映画4作目『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』は、これまで人間の暗部を晒しながら破滅していった債務者たちにカネという名の片道切符を渡していったウシジマくん自身にフォーカスがあたる。6年続いたシリーズの最終作にふさわしい問題作になっている。
思えばウシジマくんこと丑嶋馨(うしじまかおる)は、何人もの多重債務者に地獄への引導を渡しながら、自身は一種その問題の外にたちつづけていた。その黒い瞳で「いくらいるの」と語りながらも、主人公であるにも関わらず債務者の内面に一切関わらず、破滅していく姿に救いの手を差し伸べもしなかった。
ただ、彼らが破滅の時間を迎える時計の針を「10日で5割」という破壊的なスピードで回し続ける……。その、主人公なのに人間の心情という意味でのドラマには登場せず引導だけを渡す姿はゴルゴ13のようだった。そこが「闇金ウシジマくん」の人情ドラマに逃げない徹底した姿勢の象徴であるとともに、物語的なカタルシスの作りづらさにもなっていた。
前3作の映画も、映画という豪華な舞台にふさわしく何人もの債務者が自己を省みる暇もなく狂奔し、ドミノ倒しで破滅していく。その姿は、現在的なスラッシュムービー、マネー・ディザスタームービーとでも言うべき凄みはあったものの、ドラマとして見ると丑嶋馨のブレない姿だけが薄気味悪く印象に残る不思議な視聴観をあたえていた。主人公が人を轢き潰す歯車役なんだもの。
そんな「闇金ウシジマくん」にとって、人間・丑嶋馨について踏み込んだ最終作『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』は、現代版のロードムービーとして必見の内容になっている。ハッキリ言って、テレビドラマから派生の映画でここまで素晴らしい映画が生まれるとは思えない水準に達していると思う。
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映画『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』
監督/山口雅俊
2016年10月22日(土)全国公開
ymkn-ushijima-movie.com
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