映画「闇金ウシジマくん」が描いた自由と閉塞感は何かに似ている
マンガ原作の「ヤミ金くん編」を基に描かれる本作は、丑嶋馨と好対照の幼馴染竹本(永山絢斗)との対比と、丑嶋自身と周囲との因縁が始まった12年前の過去編を行き来しつつストーリーが展開する。
驚いたのが、12年前の少年時代の丑嶋を演じる狩野見恭兵や、犀原役玉城ティナ、柄崎役江口祐貴などの演技の素晴らしさ! 映画で初登場、最終作で突然の過去編という構成的に難しい所をグイグイ引っ張っていき、視線の雰囲気、特徴的な立ち姿、呼吸まで見事なまでの丑嶋っぷり。少年丑嶋馨が、ウシジマくんになるまでをこれ以上ない説得力で演じきった狩野見恭兵のとんでもなさを確認するためだけでも鑑賞する価値はある。
ウサギや小動物を愛好するというアンバランスさをもつ丑嶋馨が、12年前母親の形見であるウサギを託した相手竹本は、表面上は丑嶋と好対照な聖人として登場する。一方で丑嶋が捨てきれない純粋さ、人間らしさを体現するキャラクターでもある。誰彼ともなく手を差し伸べるうち自身も日雇いバイトのホームレスになった竹本に金を貸した丑嶋馨は、竹本の転落と、抱く理想に引導を渡すことになっていくのだが。竹本という存在に触れるたび、これまで揺らぐことのなかったウシジマくんが人間・丑嶋馨としてブレる姿は、大きく心を揺さぶられる。
なぜかこの最終作を鑑賞後、筆者が思い浮かべたのは『俺たちに明日はない』や、『イージーライダー』、『ワイルドバンチ』などのアメリカン・ニューシネマの傑作群だった。これらの作品は、無軌道な若者を描きながら、すでに古くなった理想を掲げた若者が現実に反抗する自由と閉塞感を描いた。
『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』では、カネに翻弄され無軌道であるがゆえにすり潰されていく債務者の姿から現代日本の閉塞感と、それから自由になるためにはある種の人間らしさを捨て無くてはならない呪縛を背負ったウシジマくんが立ち尽くしている。
「バイバイ、ウシジマ。」最終作である本作のキャッチコピーだ。この秀逸な文句のとおり、ウシジマくんはアメリカン・ニューシネマの主人公のように何かを殺し、そして何かに殺される。その瞬間、地獄へと帰還する人間・丑嶋馨が現れてくる。
カネという制御不能の暴走車に乗り込んだ丑嶋馨の道程の記録がこれまでの「闇金ウシジマくん」だとしたら、その6年間のロードムービーにふさわしい締めくくりを見事にやりきった最終作『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』。
ファンだけでなく、確固たる目標や敵もなく、気がつけば真綿で首を絞めるように生きづらくなっていっている現代人なら必見としか言いようがない。〈文/久保内信行〉
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映画『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』
監督/山口雅俊
2016年10月22日(土)全国公開
ymkn-ushijima-movie.com
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