更新日:2013年02月18日 09:11
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「元代議士より元受刑者」としての山本譲司氏の現在

先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか ◆秘書給与詐取事件で逮捕獄中生活を経て福祉の道へ (’00年辞職⇒福祉分野で執筆、講演を行う・山本譲司氏)
山本譲司氏

山本譲司氏

’00年に秘書給与詐取事件で逮捕され、衆議院議員を辞職。実刑判決を受けた山本譲司氏は国会議員から受刑者へと一気に転落した。 「代議士秘書、都議を経て、とんとん拍子に国会議員にまでなってしまった。政治とカネの問題が起こるたび憤慨していたはずの自分が、いつしか『大行は細謹を顧みず』『清濁併せ呑む』と考えるようになり、気づけば自分自身の感覚も麻痺していました。あの事件は、そんなおごった生き方そのものに対する警鐘だったんです。そうした反省のもと生き方を見つめ直そうと、控訴せず懲役1年6月の一審判決を受ける道を選びました」  しかし、刑務所の実情は想像を絶するもので、獄中生活は山本氏の人生を決定づけるものとなった。 「刑務所の中にいたのは粗暴な悪人ではなく、冷たく厳しい社会の中で居場所を失い、福祉制度の狭間からもこぼれ落ちた人たちでした。そこでの私の懲役作業は、一般受刑者からも『掃き溜め』と呼ばれる場所での、知的障害や身体障害を抱えた受刑者の世話係。社会に戻りたくないという受刑者も多く、刑務所が福祉の代替施設となっている実情に愕然としました。福祉や社会の問題について偉そうに論じていた議員当時の自分が恥ずかしく、福祉に関わる仕事に就きたいという気持ちが生まれました」  そして出所後に「自分への戒めのつもりで」と書き始めた文章が『獄窓記』として出版され、新潮ドキュメント賞を受賞。法務省などさまざまな機関から講演依頼が舞い込むようになり、福祉施設で働く傍ら、全国の更生保護施設、刑務所を巡る機会も増えていく。 「厚生労働省の研究班の一員として虞犯・触法障害者の調査研究を行い、国に政策提言する立場も与えられました。近年はその提案などがきっかけとなり、実際に施設や法律の整備も進んでいます。現在は精神や身体に障害を有する受刑者を収容する刑務所の計画立案・運営や、更生保護法人、NPOでの活動なども行っています」  すべての活動の原点になっているのは、獄中での体験。自身としても「元代議士よりも元受刑者という意識のほうが強い」と話す。 「法案を通す際の予算化の手続きなど議員時代の経験は役立っていますし、元代議士という立場だったからこそ出版の機会に恵まれたことも理解しています。ただ、もう重箱の隅をつつくような議論や、あざとい駆け引きなどは絶対にしたくない。やるべきことはキリがないですし、自分が動ける部分で動くことを大事にしたいです」 【山本譲司氏】 ’62年、北海道生まれ。衆議院議員時代の’00年に秘書給与詐取事件で実刑判決を受ける。出所後は福祉施設にスタッフとして通い、執筆、講演も行う。著書に『累犯障害者』『覚醒』 ― 「タダの人」になった元国会議員のその後【8】 ―
累犯障害者

刑務所や裁判所、そして福祉が抱える問題点を鋭く追究

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