キミは初代タイガーマスク・佐山サトルを知っているか?――「フミ斎藤のプロレス講座」第8回
―[フミ斎藤のプロレス講座]―
40代あるいは50代以上の男性ファンを対象としたプロレスである。さる9月18日、初代タイガーマスク佐山サトルが主宰するリアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会を観戦してきた。大会名は“STRONG STYLE”。ひと昔まえではなくて、ふた昔まえのプロレス用語をあえて用いるとするならば9・18後楽園(きゅうてんいちはち・こうらくえん)と呼ぶのが正しいのかもしれない。
初代タイガーマスクが彗星のごとくデビューし、お茶の間のヒーローとして日本じゅうに大ブームを巻き起こしたのはいまから33年まえの1981年(昭和56年)4月。プロレス中継が“金曜夜8時”のゴールデンタイムで放映されていた時代のことだ。新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)は、『3年B組 金八先生』(TBS)や『太陽にほえろ』(日本テレビ)という伝説的な長寿番組と同時間帯のオンエアで毎週20パーセント台後半から30パーセント台の高視聴率をキープしていた。
人気アニメ『タイガーマスク』(1969年10月から1971年9月までよみうりテレビ・日本テレビ系列で放映)の“実写版”としてプロレスのリングに登場した初代タイガーマスクは、デビューからわずか2年4カ月後の1983年(昭和58年)8月に突然、引退を表明。その正体だった佐山サトルは、現在の総合格闘技のルーツといってもいい修斗(シュート)を創立し、その後、ザ・タイガー、スーパータイガー、タイガーキングとリングネームを変えながらUWF、UFO、掣圏道といった団体で活動。2005年(平成17年)に“真の精神武道”“新生武士道”として掣圏真陰流(せいけんしんかげりゅう)を創設した。
リアルジャパンプロレスはその掣圏真陰流がプロデュースするプロレス団体で、総監・初代タイガーマスク佐山サトルも現役選手としてリングに上がっている。かつて“昭和の少年たち”が胸を躍らせた大長編実録劇画『空手バカ一代』の平成版のような世界、といえばわかりやすいかもしれない。パンフレットの1ページめには“大会開催の御挨拶”として「今大会も着実にストロングスタイルを推進させていく目的で、それに見合う選手を選ばせていただきました」「ストロングスタイルとは、しっかりとした基本技術を備えた選手がプライドをかけ“覇を競う”。(格闘技スタイルでもない、学芸会でもない)ナチュラルの試合をすること」「プロレスラーは強くなければなりません。アントニオ猪木の弟子として、ストロングスタイルで育った私だからこそ、『真摯に捉えるプロレス』を広く継承することが責務であると考えます」という佐山のことばが記されている。
9・18“STRONG STYLE”後楽園ホール大会の公式ラインナップ6試合の出場メンバーは全24選手(フリーを含め全16団体から参加)。いずれも初代タイガーマスク佐山サトルとなんらかのつながりをもつレスラーばかりだから、ひとつひとつの試合を観ながら――中年プロレスファンの一種の特権として――その背景にあるさまざまなドラマに思いをはせるのもリアルジャパンプロレスの楽しみ方ということになる。また、リングアナウンサーが各出場選手を定番のニックネームとともにコールしていたのもオールドファンの琴線をくすぐった。
第1試合のタッグマッチに出場した“小さな巨人”グラン浜田(フリー=63歳)は、本場メキシコのルチャリブレを日本のリングに持ち帰ったパイオニアのひとりで、佐山サトルのメキシコ修行時代のサーキット仲間でありライバル。浜田とタッグを組んだ“仮面シューター”スーパー・ライダー(リアルジャパン=年齢不明)は、修斗の創成期の選手からプロレスに転向した佐山のまな弟子。浜田は全盛期と同じように後ろ髪を長く伸ばし、おなじみのミントグリーンのショートタイツをはき――スピードはなくなったけれど――かつて古舘伊知郎アナウンサーが“マリポーサ殺法”と形容したそれとあまり変わらない幻想的な動きをみせていたのは驚きだった。
第2試合では力道山の次男・百田光雄(リキエンタープライズ=66歳)とその息子“力道山三世”力(ちから)(同=32歳)がそれぞれ別べつのコーナーに立ってタッグマッチで対戦。力は力道山スタイルの黒のロングタイツを着用し、力道山の専売特許だったケサ斬りスタイルの空手チョップで暴れまくったが、最後は父・光雄のバックドロップでフォール負けを喫した。“プロレスの父”力道山の孫がプロレスラーとしてリングに立っているというだけで、昭和世代のプロレスファンはそこに歴史的意義を見出すことができる。
“世界の究極龍”ウルティモ・ドラゴン(闘龍門MEXICO=47歳)は、少年時代に初代タイガーマスクに憧れ、テレビで観た“四次元殺法”を自己流で完全コピーしていたという驚異的な運動神経の持ち主で、追っかけファン時代には佐山本人から試合用のタイツをプレゼントしてもらったことがあるという。新日本プロレスの道場生だったが、日本ではデビューせず、いきなり単身メキシコに渡り、超一流ルチャドールに変身して帰国した。だから、そのプロフィルは初代タイガーマスクの生誕のイメージとどこかダブる。
“燃える情念”石川雄規(Battle Arts Academy=47歳)は、そのニックネームからもわかるとおり、少年時代から“燃える闘魂”アントニオ猪木の熱狂的な信者で、学生時代は佐山サトル主宰時代のシューティング(修斗)で修行し、大学卒業と同時に単身渡米。1枚の写真だけを手がかりにフロリダ州タンパ郊外の“神様”カール・ゴッチの自宅を探し出し、弟子入りを直談判した。タンパの名門スクール“マレンコ道場”でトレーニングを積み、帰国後、“関節技の鬼”藤原喜明のプロフェッショナル・レスリング藤原組に入団。1995年(平成7年)に独立し、格闘探偵団バトラーツを設立した。現在はカナダ・オンタリオ州トロント郊外に在住し、バトラーツ時代の弟子であり、WWEスーパースターのサンティノ・マレラ(本名アンソニー・キャレーリ)が経営するMMA&レスリング・スクール“バトル・アーツ・アカデミー”で総師範をつとめている。
セミファイナルのタッグマッチ60分1本勝負、鈴木みのる(パンクラスMISSION=46歳)&スーパータイガー(リアルジャパン=年齢不明)対齋藤彰俊(プロレスリング・ノア=年齢非公開)&柴田正人(U-FILE CAMP=36歳)は、佐山サトルが提唱する“ストロングスタイルの復興”を体現するような試合だった。鈴木のニックネームは“世界一性格の悪い男”で、初代タイガーマスク佐山サトルが「次代を担う選手」と太鼓判を押すスーパータイガーのそれは“格闘系猛虎遺伝子”。“死神”齋藤と“巨漢皇帝戦士”柴田は「ストロングスタイルをしっかりできる選手」(佐山)。最後は鈴木の“ゴッチ式パイルドライバー”で3カウントを奪われてしまったが、4選手のなかではいちばん無名でキャリアも浅い柴田が柔道出身らしい体の頑丈さとプロレスラーとしてのポテンシャルの高さを印象づけた一戦だった。ひょっとしたら、負けた選手が輝くのもまたストロングスタイルなのかもしれない。
メインイベントの6人タッグマッチ、初代タイガーマスク(リアルジャパン=56歳)&藤波辰爾(ドラディション=60歳)&船木誠勝(WRESTLE-1=45歳)対金本浩二(フリー=47歳)&グレート・タイガー(国籍・年齢不明)&タカク・クノウ(チーム太田章=47歳)の試合開始のゴングが鳴ったのは午後9時をちょっとまわったところだった。
船木にとって、初代タイガーマスクは少年時代の憧れの存在で、藤波は中学を卒業と同時に新日本プロレスに入門したときに最初に“付き人”をやった大先輩。デビューから30年めにしてこの日、初めてふたりの偉大なる先人たちとタッグを組んだのだという。船木は現在保持する世界ヘビー級王座(ZERO1認定)のチャンピオベルトを腰に巻いてリングに上がってきた。タイトルそのもののルーツこそ異なるが、新日本―UWF―藤原組―パンクラス―全日本プロレスを渡り歩いてきた船木が、かつてジャンボ鶴田が保持していたAWA世界ヘビー級王座とまったく同じデザインのチャンピオンベルトを腰に巻いている光景は、オールドファンの目にはちょっと不思議なものに映る。
試合開始前には、この試合の特別立会人としてかつて初代タイガーマスクの宿命のライバルとして一世を風靡した“虎ハンター”小林邦昭がリングサイドの本部席に座った。初代タイガーマスクは「船木選手を中心にして8対1対1くらいの割合で……」と語っていたが、試合がはじまるとかなり長い時間、リング内で闘っていた。
6人タッグマッチでは最大で9通りのシングルマッチのさわりが実現する。初代タイガーマスクと金本のからみでは場内のあちこちから「三代目、いけ!」と声援が飛んだ。金本は新日本在籍時代、三代目タイガーマスクに変身していた時期がある。ゲスト出場的なポジションだった“炎の飛龍”藤波はドラゴン・スクリュー、スリーパーホールド~ドラゴン・スリーパーという得意技のレパートリーをきっちりと披露した。試合は、初代タイガーマスクがツームストーン・パイルドライバー、コーナーからのダイビング・ヘッドバットという全盛期の必勝フルコースでグレート・タイガーをフォールした。
リアルジャパンプロレスの次回興行は12月5日(金)の後楽園ホール大会。対戦カードはまだ正式決定していないが、元大相撲の貴闘力(フリー=47歳)が参戦し、初代タイガーマスクとタッグを組むことが発表された。
“ストロングスタイルの復興”は国技・相撲の道から外れてしまった元関脇までもぐいっと呑み込もうとしている。初代タイガーマスク佐山サトルによれば「ストロングスタイルというのは、ある意味、プロレス用語で言えば、しょっぱくなってしまうので、面白くない試合になってしまう。硬い試合になってしまう。そうではないスペクタクルなものを作るにはどうしたらいいか……」と語る。そもそも、プロレスとはそういうジャンルなのかもしれない。この日の後楽園ホールは、わかる人にはものすごくよくわかって、わからない人にはたぶんまったくわからない、まるで“万華鏡”のような空間だった――。
文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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