更新日:2022年06月29日 10:04
スポーツ

美人プロ水上スキーヤー・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡

~もぎたて!女子アスリート最前線 第12回~
水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡

ひろさわ・さあや

 プロ水上スキーヤーとしてジャンプのアジア記録・51.2mを保持する廣澤沙綾選手。この世界に入るきっかけ、そしてその経緯を見ていこう ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1059317  大学入学時に体育会系に入り「日本一になりたかった」と振り返る廣澤選手。他のメジャースポーツだと中学や高校からやってる選手が多いので勝つのが難しい。大学からスタートできるスポーツで勝負したいということで水上スキーを選択した。4歳からやっていた水泳を12歳で中途半端に辞めてしまったことをとても後悔していて、このことが頭によぎり、「大学4年間は絶対にやり遂げよう」という意気込みが強かったという。  デビュー戦は「2003年10月 全日本学生大会新人戦。自信もあったので「私がいますから今後よろしく!」と、中心になりますという意味で派手にアピールし、いきなり学年別では1位に。日本記録を目標に練習に取り組んでいたが、意外にあっさりとクリアーできてしまい、4年間の大学生活を終えて求めていた達成感があまりなかったのと世界に挑戦するための環境があるということでアメリカ行きを決意した。  生活してみると自分のコミュニケーション能力のなさに愕然とし、「自分てこんなに根暗なんだ」と自分の新たな一面をみることができ、言葉もわからず友達を作ることの難しさを知った。環境に馴れるのにはかなりの時間がかかった。海外で練習に取り組んでいたときに記録を追求すぎて自分らしさを失い伸び悩んだ。というのも自分に甘い部分があるので、あえて厳しい目標を立て追い込みすぎていた。そんな時、周りのトップ選手をみてみると彼らは競技を純粋に結果よりいかに自分の滑りができるかが大切ということ教えてくれ自分の軸を取り戻した。 水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡 2012年3月ワールドカップに招待選手として呼ばれて試合をするが、周りの空気に飲まれてしまった。というのも周りの選手の一部から「この選手がでるのはおかしい」という声が聞こえてきたからだ。その声に動揺してしまい結果を出せず悔しい思いをしたのだった。ジャンプで50mという距離をいつも目標にしていたのだが「2013年 4月21日 John Roach Memorial」で遂に51.2mという自分の目標をクリアしての優勝を果たした。 水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡「これでいつ辞めても後悔がない」と達成感で肩の荷が下りたような感じで楽になれた。今後は自分が出場できる大会では結果も出していきたいは当然なんですが、アジア圏での女子のレベルが低いので、自分が底上げできればと考えています。シンガポールやインドネシア、タイは政府からの援助金がでるようになってきてるので、そういった国でゆくゆくは後進の指導をしていければいいな」と語ってくれた。 水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡 水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡 水上のトビウオ・廣澤沙綾 50m超の大ジャンプを達成するまでの軌跡<取材・文・撮影/丸山剛史>
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