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水球ジャパン代表・風間祐李、初のオリンピック出場で金メダル宣言

 筋トレに励む選手たちの姿を至近距離で見て、思わずギョッとした。首周りから鎖骨のあたりにかけ、熊に引っかかれたような傷が生々しく残っているのだ。水球は「水中の格闘技」と呼ばれるほど、ハードなコンタクトスポーツ。試合のたびに身体の生傷は増えていく。特に水面下では、膝を相手の太腿部分にブチ込むなどのエグい攻撃が頻繁に行われているという。

かざま・ゆり「泳ぐのは得意だったけど、競泳にはない“巻き足”に最初は苦労しました」

~もぎたて女子アスリート最前線 第30回~  秀明大学水球部で仲間たちに天真爛漫な笑顔を振りまく風間祐李(22歳)も、厳しい世界に生きる住人の1人。現在はケガのために日本代表から離れているが、’20年の東京オリンピックでは間違いなく中心になる選手だ。これまで日本の女子水球チームは五輪に出場したことすらないが(東京五輪は開催国枠で出場)、風間は「出るからには金メダルを獲るつもり」と力強く語る。 「今、一番たいへんなのは食事ですかね。コーチからは1日5000kcal摂るように言われてるんです。水球という競技は浮力が大事だし、ケガをしないためにもある程度の脂肪は必要。でもそれにしたって、5000kcalってハンパな量じゃないですよ。お金の面でも毎日外食っていうわけにいかないから、自炊が基本になりますし。だけど困ったことに、大学の周りにはスーパーがなくて……自転車で20分くらいかかってしまう。だから車に乗せてもらう機会があると、コストコまで行ってディナーロールを爆買い。そして、すぐさま冷凍保存する(笑)。……あっ、そういえば大学の近所の農家の方が野菜を分けてくれることがあります! それから大会で勝つと、近所のケーキ屋さんが差し入れをくれることもあるか。そう考えると、私は恵まれているほうなのかな」

ダイナミックなフォームでゴールを狙う風間。ボールの驚異的なスピードに圧倒されてしまう

 幼い頃から勝ち気な性格だった。近所にいじめられている子がいると、必ず「やめなよ!」ととめに入った。水球に出会ったのは小5のとき。弟が先に始めていたが、大会に出場するにあたって選手の人数が足りないということで、急遽、姉も駆り出されることになったのだ。5歳のときからスイミングプールに通っていたので、泳ぐのはお手のもの。急造チームにもかかわらずチームは大会で2勝を挙げ、自身もゴールを決めることができた。 「今考えると上出来ですよね。だけど当時は全国大会に進めなかったことが、すご~く悔しかったんです。それで中学に入ったら本格的に水球をやるんだって決めました。引き下がるわけにはいかないと思ったし、そのときのチーム・川口水球(川口スイミングクラブ)には中学の部もあったので。ルールもろくにわからなかったから、最初は苦労しましたけどね。『サイドを走れー!』とか言われても、『えっ? 走るってどういうこと? 足もつかないのに』ってポカーンとしていましたし(笑)」

フィジカルを鍛えるため、水中だけでなく筋トレも入念に行う。チームメイトと励まし合う声がトレーニング室に響き渡る

きつい練習で生まれるチームの絆

 もともと体幹には自信がある。そのことが水球をやるうえで大きな武器になった。パワーでねじ伏せるシュートを中心にしたスタイルは、中学のときから確立していたという。「シュートを決めたときの快感は何物にも代えがたい」と風間は笑う。特にペナルティーシュートはキーパーと1対1の心理戦になるため、「やってやったぜ!」という気分になるそうだ。 「あとはチーム競技だから試合中は仲間とひとつになる感じがあって、それが最高なんです。選手はそれぞれ個性も動きも体型もバラバラだし、むしろバラバラなほうがいい。だけど、最終的には同じ方向を向いて団結している感覚。きつい練習を一緒に乗り越える中で、本当の絆が生まれるというか……」  中2のとき、風間は現在の師である加藤英雄監督に出会う。当時の加藤氏は秀明英光高校で水球部の顧問を務めていた。中学を卒業した風間は、迷うことなく秀明英光高校に進学を決めた。加藤氏の提唱する「電光石火のカウンター水球」に魅了されたからだ。そして‘15年には秀明大学に女子水球部が誕生し、加藤氏が監督就任。国内初の女子水球専用プールも作られ、日本代表選手が多数在籍する超名門校として知られるようになった。

秀明大学には国内初の女子水球専門のプールが存在するほか、専属トレーナーやトレーニング施設も完備。練習環境は申し分ない

 この中学から大学にかけて、風間の選手成績は目覚ましいものがある。春と夏に年2回行われるジュニアオリンピックカップ(JOC)は、常に優勝か準優勝。もはや国内に敵なしの状態と言っていい。そして高校2年でユース女子日本代表に、大学1年で女子日本代表に選抜されている。「競泳をやっていたときは表彰台なんて登ったことがなかった」そうだが、この水球という競技なら頂点を獲れるかもしれない──。風間がそう考えるようになるのも当然だった。 「挫折知らず? 全然そんなことないです! 一番やめたいと思ったのは大学1年のとき。日本代表に選ばれたはいいけど、その直後、すぐに日本代表から外されたんですよ。ちょうどオリンピック予選のときです。後輩も代表に選ばれているのに、自分は日本に残っていて、ホント何やっているんだろうって……。そういうときって何をやっても上手くいかないんですよね。シュートが入らない。思ったプレーができない。水に入るのが嫌だ。もう水球の神様から完全にそっぽ向かれている感じですよね。それまでトントン拍子で来ていたからこそ、逆にどう立て直していいのかわからなかったんです」

加藤英雄監督の提唱する「電光石火のカウンター水球」に心酔。「ひと回り身体が大きい外国人選手と戦うためには、“日本人ならではの水球”をしないとダメだと思います」(風間選手)

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シュートは「絶対に入れる」の気持ちで
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