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“ヌルヌル男”リック・ルードの性――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第101回

 ルード(本名リチャード・アーウィン・ロード)は1958年、ミネソタ州ロビンズデール出身。名門“エディ・シャーキー道場”でプロレスを学び、1982年、デビュー。道場ではアニマル&ホークのロード・ウォリアーズと同期生で、師匠シャーキーは当初、ルードとホークにタッグチームを組ませるつもりだった。  ルードはNWAジョージア、テネシー、NWAフロリダ、ダラス・ワールドクラスをサーキット。1986年、ワールドクラスでは新設WCWA世界ヘビー級王座の初代チャンピオンに認定された。その後、NWAクロケット・プロを経由し、1987年にWWEと契約した。  ビンス・マクマホンはルードに“男性ストリッパー”のキャラクターを与えた。ルードは典型的なボディービルダー・タイプの筋肉の持ち主だったが、スーパーヘビー級のハルク・ホーガンと闘うヒールとしてはややスリムで小型だった。  ルードの左右3段ずつに割れた6パック(語源は缶ビールの6本入りパッケージ)の腹筋にホレ込んだビンスは、ルードにメインイベントのひとつまえのポジションを用意した。それはビンスがよく使う“隔離システム”だった。  体脂肪率がきわめて低い典型的なボディービルダー系の体つきにしてはバンプ(受け身)の名手だったルードは、アルティメット・ウォリアーと“いい試合”ができる数少ないレスラーのひとりでもあった。  ルードは“レッスルマニア5”(1989年4月2日=ニュージャージー州アトランティックシティー)でウォリアーからインターコンチネンタル王座を奪い、同年8月、“サマースラム”(同8月28日=ニュージャージー州イーストラザフォード)でウォリアーに敗れベルトを失った。ウォリアーとルードの約半年間の因縁ドラマは、観客動員力のあるカードだった。
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プロレスラーとしての技量には限界
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