更新日:2017年11月14日 14:02
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祝・上海ディズニーランド開業に学ぶ驚愕のマーケティング術【コラムニスト木村和久】

 話を戻そう。そうなるとヨーロッパは4億人ぐらいいるから、もうひとつディズニーランドをこさえてもいいと思うが、実はさほどディズニーランド支持者がいるわけではない。昔、パリのユーロディズニーに行ったことがあるが、近くに本物の城があるのに、作りもののお城を見せられてもって気分だった。そもそもシンデレラ城は、ドイツのノイシュバンシュタイン城をモデルに作られているので、有難みはないよね。ピノキオや白雪姫にしてもオリジナルはヨーロッパでしょ。ピノキオって、もともとは意地の悪いガキだったのを、ウォルト・ディズニーが、愛されキャラに変えて大ヒット。しかも「星に願いを」を挿入歌にしてアカデミー歌曲賞までもらう始末。それが1940年って、日本は真珠湾攻撃の前ですよ。アメリカの商業文化って凄いなあ。  ユーロディズニーに行ったときに、当時人気だったのが、なぜか吊り橋だった。大人が大挙乗って、橋が壊れないか、ゆすってたからね。それアトラクションじゃないっすよ。そんなわけで、ヨーロッパはこれ以上いらないでしょ。  そうなると中東のお金持ちの国あたりが、収益無視で手を挙げそうかも。それにしても、こんな夢の国を作ったウォルト・ディズニーって凄いと思うでしょ。確かに才能の塊で、凝り性だけど、そもそもはディズニーランドなんか、作る気はなかったのだ。本業はディズニースタジオで映画やアニメを作ってたのだが、実は労働争議に巻き込まれて、嫌毛をさしたウォルトは、会社に来なくなり、ひとりで鉄道模型を作って遊んでいた。模型と言っても、大人が乗れるぐらいの大きさのSLで、自ら運転していた。そしたら、これが楽しくて、しょうがない。乗り物のアトラクションを中心とした、テーマパークを作ったらどうかとアイディアが閃いたそうだ。でもそう考えた本当の理由は、機械はストライキを起こさないし、給料も出さなくていいから、というんだから笑えますね。
木村和久

木村和久

 そんなわけで1955年に、カルフォルニアのアナハイムに最初のディズニーランドがオープンした。オープン初日は、凄い暑い日で、飲み物持ちこみ禁止にしていたので、飲食コーナーに長蛇の列ができて、みんなぐったりの散々な初日だったそうだ。今上海ディズニーランドで、割り込みや立ち小便をするマナー違反客などが騒がれているが、最初はそんなものよ。徐々に慣れて、皆さんもお伽の国の一員になりましょう。ディズニーランドの最大の功績は、中国人にマナーを覚えさせる、これなのですから。 ■木村和久(きむらかずひさ)■ トレンドを読み解くコラムニストとして数々のベストセラーを上梓。ゴルフやキャバクラにも通じる、大人の遊び人。現在は日本株を中心としたデイトレードにも挑戦
トレンドを読み解くコラムニストとして数々のベストセラーを上梓。ゴルフやキャバクラにも通じる、大人の遊び人。現在は日本株を中心としたデイトレードにも挑戦。著書に『50歳からのかろやか人生』
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