“レッスルマニア10”ラダー・マッチ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第151回
80年代に少年時代を過ごしたアメリカのプロレスファンの多くが“レッスルマニア3”のランディ・サベージ対リッキー・スティムボートのインターコンチネンタル選手権を“心の名勝負”として記憶しているように、90年代に少年ファンだった世代はこの日のブレット対オーエン、ラモン対マイケルズの2試合を“究極の名勝負”として記憶している。
WWEの全米マーケット進出プロジェクト“1984体制”からちょうど10年後の1994年は、リングの内側と外側でいっきに世代交代が起きた1年だった。リングの内側の世代交代とはいうまでもなく“ハルク・ホーガン不在”の“レッスルマニア”の成功で、リングの外側の世代交代とは観客サイドの意識の変化だった。
“レッスルマニア10”をポスト・ホーガン体制のほんとうのプロローグととらえたブレットは、第1試合とメインイベントの2試合に出場。第1試合では実弟オーエンとシングルマッチで対戦し(オーエンがフォール勝ち)、メインではヨコヅナが保持するWWE世界ヘビー級王座に挑戦した。
オープニング・バウトのブレット対オーエンのシングルマッチが終了した瞬間、ガーデンを埋め尽くした1万8000人超の大観衆は“レッスルマニア10”の主人公がブレットであることを確信した。
いっぽう、ラモン対マイケルズのインターコンチネンタル選手権“ラダー・マッチ”は、どちらかといえば“無印”のタイトルマッチだった。登場人物はラモン、マイケルズ、マイケルズの“ボディーガード”ディーゼル(ケビン・ナッシュ)の3人。ラダー・マッチというデスマッチ的な試合形式は、じつはこの3人が同時にポスト・ホーガン路線の主役グループに昇格するためにデザインされた試合だった。
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