更新日:2022年07月28日 17:36
スポーツ

ショーン派閥“クリックKliq”出現――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第183回(1995年編)

 1月のPPV“ロイヤルランブル”が終了した時点ではショーンだけがヒールで、ディーゼル、ラモン、キッドの3人はベビーフェース。マイケルズとディーゼルは4・2“レッスルマニア11”のメインイベントで対戦することが決定していたため、アリーナの外ではいっしょに行動しているところをファンに目撃されるとマズい立場にあったが、クリックはそんな“業界の常識”を完全に無視した。  クリックとそれまでのいわゆる“軍団”との根本的なちがいはその行動力、発言力、政治的な影響力の大きさにあった。3カ月後に迫った“レッスルマニア11”のメインイベントをつとめるディーゼルとショーンがバックステージで新派閥をつくったことで、ワンマン社長のビンス・マクマホンと現実的なレベルでのネゴシエーションが可能になった。  “1984体制”以後、こういう形でビンスをじわじわとコーナーに追いつめていったWWEスーパースターはいなかった。あのハルク・ホーガンもビンスとは本気でケンカをしなかった。ビンスは40代に手が届いたホーガンに引退を勧告し、ホーガンはメインイベント以外のポジションで試合をするつもりはなかったため、結果的にホーガンにはライバル団体WCWへの移籍しか選択肢はなかった。  クリックは内部――WWEの心臓部――からビンスに揺さぶりをかけていった。ショーンとディーゼルは“レッスルマニア11”の試合結果に関係なく、その後も自分たちがいかに継続的にトップのポジションをキープしつづけるかを最優先課題とした。ビンスにとってはこのアプローチは想定外だった。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

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