メドゥーサがプロデュースした“ちいさな反乱”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第199回(1995年編)
トータルでわずか10分弱というファイトタイムは、日本の女子プロレスのレベルの高さをディスプレーするにはあまりにも短かすぎた。アメリカの観客が日本の女子プロレスに関する予備知識を持っていなかったことも明らかだったが、試合後にアジャが「いつもより多めにパフォーマンスでもしておけばウケるのかと思ってた」と語ったとおり、全女サイドもWWEのプロレス、あるいはアメリカの観客についてやや研究不足だったこともまた事実だった。
WWEは全女からの6選手のブッキングに、往復の航空チケット代や滞在中のホテル代といったファイトマネー以外の諸経費に5万ドルの予算を用意した。ブレイズ、というよりもメドゥーサは“サバイバー・シリーズ”に自分と日本人選手の試合ワクをつくることをビンス・マクマホンにブレゼンテーション=直談判し、ビンスもこの案を了承した。
WWEは翌年(1996年)1月のPPV“ロイヤルランブル”でブレイズ対アジャのWWE女子世界選手権を予定していたが、結果的にこの試合は実現しなかった。じつはメドゥーサは、この時点でライバル団体WCWへの電撃移籍に向けた水面下での予備交渉をスタートさせていたのだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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