更新日:2017年11月16日 20:10
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11年間で22人を殺害した消防隊員・勝田清孝の知られざる素顔【大量殺人事件の系譜】

 借金やツケで首がまわらなくなった勝田が取った手段は、空き巣や車上狙いだった。後に明らかになったところでは、計500件の盗みを働いていたという。やがてそれは、より強引で大胆な手口へとエスカレートしていく。  最初の殺人は、消防士時代の1972(昭和47)年11月。京都市のアパートで25歳のホステスを強姦し絞殺、1000円を強奪したのだ。以降、消防士をしながら、1977(昭和52)8月までに、若い女性ばかり計5人を殺害し金品を奪っている。自慢の愛車で京都や大阪、神戸、名古屋へと「遠征」し、犯行を重ねていたのだ。その主たる目的は盗みであり、気づかれて騒がれると殺害に至ったという。  勝田はつまり、「日中は優秀な消防隊員、夜は強盗殺人犯」という2つの顔を持つ男だったのだ。  1980(昭和55)年11月、大阪で8万円を盗み逮捕される。消防士は懲戒免職になったが、これまでの5件の殺人が明らかになることはなかった。だからなのか、勝田は悪行をやめることができなかった。1982(昭和57)年10月、警官を車で轢き、奪った拳銃でスーパー店長を射殺するなど強盗殺人3件や、10件の強盗を重ね暴走していった。そして、冒頭に記したように、1983(昭和58)年1月、勝田の大量殺人は終焉を迎えるのである。
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実際には22人の殺害を自供
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