雑学

逮捕と拷問から17年、死刑が“無罪”となった戦後の冤罪「仁保事件」【大量殺人事件の系譜】

 自分の娘を殺害した殺人罪などで無期懲役が確定し、およそ20年間服役。その後、昨年10月に釈放された母親とその元夫。今年8月、この「東住吉事件」の再審公判で、大阪地裁は2人に対し無罪判決を言い渡した。冤罪事件である。身に覚えのない濡れ衣を着せられる冤罪は、間断なく発生し、今なお後を絶たない。

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仁保事件(1954年)大量殺人事件の系譜~第7回~


 死刑か無罪か。地獄と天国ほどの開き。究極の、文字通り、生死を懸けた闘い――。一家6人が惨殺された大量殺人「仁保事件」は、1954(昭和29)年に山口県大内村仁保(にほ)で起きた著名な冤罪事件だ。

 同年10月26日深夜、農業を営む一家6人が就寝中に鍬でめった打ちにされ、刃物で首や胸を刺され惨殺された。その殺害方法の残忍さから、当初は怨恨が疑われた。200名を超える容疑者・不審者がリストアップされたが、いずれも決定打がない。捜査は難航、迷宮入り寸前だった。

 1年後。地元出身のO氏が、大阪で逮捕される。別件での容疑だが、仁保事件を念頭に入れていることは明らかだった。事実、逮捕から2週間が経つと、殺人容疑の取調べが始まっている。それは考えられないような、激しく厳しいものだった。自白を強要し、意にそぐわないと時代錯誤のような拷問をする捜査当局。その暴行の様子を、O氏本人は次のように語っている。

<拷問でも、なぐられたり、けられたりするのは、まだまだ我慢できます。でも、毎日毎晩、夜中の二時三時まで正座させられ、真冬に素っ裸にされて、背中からタラタラ水を流されたり、ウチワで“バサバサ”あおがれたりしてるうちに、メシは食えなくなるし、小便はタレ流しになる。水が欲しいのに、口元までコップを持ってくるだけで、飲ませてくれない>(『現代』1972年12月号)

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やっていない犯行を自白させる警察の拷問

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