爆走するストーンコールド―追走するロック――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第276回(1998年編)
ショーンとの合体―新ユニットDX結成でトップグループの仲間入りを果たしたトリプルHは、相棒ショーンからヨーロピアン王座を“譲渡”され、労せずしてシングルのタイトルを手に入れた(1997年年12月11日、“ロウ”マサチューセッツ州ローウェル大会)。
リング復帰のプランをめぐりビンス・マクマホンWWEオーナーと衝突をくり返してきたストーンコールドは――それはあくまでも連続ドラマのなかのストーリーラインではあるけれど――①医師の診断書(試合出場の許可)を提出、②選手本人の自己責任でリングに上がる、③前記の①②の条件のいずれにも合意できない場合は解雇という3つのオプションから②を選択。全治6カ月とも9カ月ともいわれたケイ椎損傷のリハビリをわずか3カ月で強行突破。“自己責任”での試合出場を決意した。
どこからどうみてもヒール系キャラクターなのになぜかベビーフェース的な人気を集めているストーンコールドは、2時間の放映ワクのなかで少なくとも2、3回はTVマッチへの“乱入”をくり返し、月曜夜のプライムタイム番組“ロウ”の視聴率をほとんどひとりで稼ぎ出していた。
“20世紀最後の大ブーム”を巻き起こすことになるストーンコールドとザ・ロック(この時点ではリングネームはまだロッキー・メイビア)の因縁ドラマのプロローグはすでにスタートしていて、1997年最後のPPV12.7“イン・ユア・ハウス/ディジェネレーションX”スプリングフィールド大会で早くも同カードが実現。この試合ではIC王者ストーンコールドが同王座防衛に成功した。
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