あの女社長が明かす“アパホテルが独り勝ちできる理由”「メインターゲットは平日のエリートサラリーマン」
「わたしが社長です!!」でお馴染みのアパホテル社長・元谷芙美子。まさに会社の顔として舵取りをし、全国に420軒、6万9153室、会員1252万9533名を誇る日本屈指のホテルへと成長させた。そんななか、「客室に南京大虐殺を否定する本が置かれているホテル」として中国人や韓国人から反発を買い、大きな話題になっている。しかし、そんな騒動はものともせず、独り勝ち状態が続くアパホテル。その成功の秘訣とホテル経営の信念をうかがうべく、渦中の女社長を直撃した!
元谷:『週刊SPA!』さん、お待ちしてましたよ。地下鉄に乗るときは、いつも見出しが気になってつい駅で買っちゃいます。
――ありがとうございます。社長も地下鉄に乗られるんですね。
元谷:今は東京中にホテルがありますから。地下鉄移動もしますよ。
――ここ数年、都内でアパホテルを目にする機会が急増していますね。
元谷:東京事務所自体は’70年代にはありましたし、’97年には「アパホテル〈東京板橋駅前〉」でホテルでも東京進出は果たしていたのですが、東京の中心部にホテルがなかったのです。でも、’10年から東京の皇居を取りまく中央区・千代田区・港区を中心にホテル展開をする「頂上戦略」を始動して、それが非常にうまくいきまして。今では都内だけで、客室数が1万室を超えました。
――都内への展開を強化する契機は何だったのでしょうか?
元谷:最初のきっかけは、’07年の耐震強度不足報道でした。
――京都にある2軒のアパホテルで、耐震強度不足問題が発生した……というニュースですか。
元谷:その際に世間が一時大騒ぎになって、銀行さんも不安がって「アパさんに貸しているお金を返してくれ」と言われ、建設中のマンションの運転資金まで返済させられました。その後、マンションが売れて売り上げが入ってきたことと、ホテル用に買ってあった土地を売却して、返済を迫られた借金を現金で返しました。
――よく現金がつくれましたね。
元谷:当時はファンドバブルで地価が上がっていたので、高く売れたのです。でも、借金を返したら、今度は稼いだお金がどんどん貯まりますよね。「このお金をどうしようか」と思っていたら、’08年にリーマンショックが起きて土地の値段が大きく下がって。そこで、皇居周りの土地を60か所買うことができたのです。
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