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桐島ローランドが写真家に留まらない理由とは? キーワードは「デジタル・ディスラプション」

 帰国した桐島は、早速、フォトグラメトリーの事業化に乗り出すが、すぐに困難に直面する……。この技術には、高性能のカメラが大量に必要なのだ。 「たまたま、ニコンのコンサルの友人がいたので、彼を仲介に『カメラ40台貸してくれませんか』と頼んでみたら、10日間貸してくれることになったんです。でも、その10日間で3Dデータを構築できなければ、事業は諦めるしかない……。しかも、最新の技術なので、系統立ったノウハウもない。ただ、よく調べてみると、ネットには海外の専門家のBBSなどに情報が落ちていたので、わずかな手懸かりを頼りに、試行錯誤してたら、成功しちゃった(笑)。事業を立ち上げることにして、スタジオの物件を探し、シリコンバレーに行ってから6か月後には起業してました」  桐島は少年時代をアメリカで過ごし、ニューヨーク大学で写真を学んだ。本人は「たまたま」と言うが、リスクを取り、失敗を怖れない考え方を身に付けていたからこそ、これまでジャンルを超えてマルチに活躍してきたのだろう。 「実は、アメリカでは、過去に失敗している起業家ほど、ベンチャーキャピタルからの出資が集まりやすい。つまり、チャレンジしたことがある人は、どこにリスクがあって、どこで失敗しやすいかを知っているので、そこが評価される。何もやっていない人より、たとえ失敗だったとしても、チャレンジした実績がある人を評価する文化があるんです。日本では、アイデアはあってもカタチにしない人が多いけれど、考えるだけなら誰でもできる。やっぱり、カタチにしなくちゃ」  桐島は、成功を収めた写真家の地位に安住することを是としない。そうしたマインドは多感な少年時代を過ごしたアメリカで培われたという 「アメリカの生活で一番学んだのは、サバイバル能力でしたね」  父方のルーツをスコットランドに持つ桐島は、日本の小学校ではいじめの格好の標的だった。 「日本の学校では、ハーフだからという理由でいじめられたけど、アメリカではみんなフレンドリーで大歓迎。教室も日本のように机が並んでいないばかりか、どこでも好きなところに座れという(笑)。そういうアメリカの自由さに、子供の頃に触れられたのは大きい。一方で、母親からは『Take your own risk(自らのリスクを取りなさい)』とよく言われました。自分で自分のリスクを背負えなければ、独り立ちできない。つまり、自由になれないということ。アメリカではグランドキャニオンから毎年何人も落っこちて、命を落としているけど、日本のように柵を設けて護ったり、事細かに規則をつくったりしない。『グランドキャニオン。これより先は危険』という看板が立ってるだけ。そんなマインドを、母親とアメリカから学んだわけです」
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日本だったら行動規制
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