プロレスは“やる側”と“観る側”の知恵くらべ――フミ斎藤のプロレス読本#015【Midnight Soul編10】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1992年
つけっぱなしのTVモニターがいつのまにかサンドストームに変わっていた。ほとんどのレスラーたちは眠っているようだった。
「あれ、富士山が見えるよ」
タイガー服部が、だれに話しかけるでもなく独りごとのようにつぶやいた。
カーテンをそおっと開けて外をたしかめてみたら、たしかに進行方向の左手に富士山が見えた。真っ暗な空に、さらに黒く、大きな富士山のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。きっと御殿場インターチェンジを過ぎたあたりなのだろう。
越中詩郎と斎藤彰俊も窓の外を眺めていた。
「なあ、サイトーよぉ。メシはどうする?」越中が“反選手会同盟”の後輩に食事に関する作戦を問いただした。
「ホテルのそばに24時間のお弁当屋さんがありますから。それから、コンビニもありますし、はい」彰俊は東京に着いてからの食事の計画をしっかりと頭にインプットしていた。
「おい、揚げ物ばっかの弁当食ってたら病気になっちまうぞ。あれは油が悪いぞー」
「ええ、気をつけてます」
ほとんど1年じゅうツアーに出ているプロレスラーにとって食生活はきわめて重要な問題だ。食生活だけではない。ヘビー級の体をつくり、なおかつ動けるコンディションを整えておくためには毎日のトレーニングも欠かせない。
ほかのスポーツとちがって、プロレスラーはビジュアルにも神経を使わなければならない。そして、いちばん大切なのはイメージ・ワークだろう。
<新日本プロレス/バトル・ファイナル/愛知県・名古屋レインボーホール大会>
ぼくは、編集部に帰ってから書かなければならない原稿のことをあれこれ考えはじめた。プロレス雑誌の記事は、試合内容だけをリポートしてもまったく意味がない。
カラーグラビアは、技の解説なんかをするよりも、大きな写真を1点だけみせたほうがよっぽどわかりやすい。試合経過をたんねんに記述しても、それはその試合のなかで起きたことを順番に再現しているにすぎない。
大切なのは、レスラーがなにを考え、どんなことを観客に伝えようとしてリングに上がっていたかを試合のなかから読みとることだ。技のひとつひとつ、動きのひとつひとつに言語には変換されないメッセージがちりばめられている。
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