ホークとノートンはやっぱり親友――フミ斎藤のプロレス読本#014【Midnight Soul編9】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1992年
<プロレスってのはすばらしいビジネスだなんて、いったいだれがいった? 富と名声だとー?>
スコット・ノートンは、どこでどうまちがってこんなことになってしまったのか自問自答をくり返した。
ある先輩レスラーは、このビジネスはタイミングがすべてなんだとアドバイスしてくれた。それから、一人前になるまでは“修行税”を支払っておくものだとも教えてくれた。
ノートンは、少年時代からタイミングの悪さにかけてはだれにも負けない自信があった。チャンスが訪れるまで自腹を切れといわれても、もう満足にメシを食うお金もなかった。道路工事をしていたころのほうがよっぽどましな生活だった。もうプロレスはあきらめてミネアポリスに帰ろうかと真剣に考えた。
たまにはまともな食事をしようと、サンクスギビング・ホリデーに七面鳥を食べに故郷に帰ったら、日本遠征のはなしが舞い込んできた。
ニュージャパン・プロレスリングのマサ斎藤が「キャリアは浅くても体がケタ外れに大きくてパワーファイター・タイプの人間的にまじめな選手」を探していた。「あまり露出されていない選手を優遇」との注釈までついていた。
<そりゃあ、オレのことじゃないか>
ノートンは無名の新外国人選手として新日本プロレスにやって来た。オレゴンと日本を1カ月おきに往復しながら年間12週間のスケジュールで日本じゅうをツアーしながら、ノートンは2年がかりでメインイベンターのガイジンに成長した。
ファイトマネーも2年間のあいだにプロ野球選手くらいの額にハネ上がった。チャンスがめぐってくるまでは自腹を切れ、というセオリーはほんとうだった。
「なあ、マイクとオレの試合、どうだった?」
マイクとはホーク・ウォリアーのことだ。ノートンはきょう、ジム・ナイドハートとタッグを組んでホーク&パワー・ウォリアー(佐々木健介)と試合をした。
ハイスクール時代から親友だったノートンとホークが、プロレスのリングで肉体をぶつけ合ったのはこれが初めてだった。
ふたりはついに再会したのだった。
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