ホークとケンスキーの出逢いwithマサ斎藤――フミ斎藤のプロレス読本#012【Midnight Soul編7】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1992年
ロード・ウォリアーズが初めて日本に来たころ、まだ若手だった佐々木健介はジャパン・プロレスのジャージの上下を着てリングサイドをうろちょろしていた。健介からみればホークは雲の上の人だった。何年かあとに自分がその人とタッグチームを結成することになろうとは夢にも思わなかっただろう。
「ミネアポリスでケンスキーと会ったときね、ああ、これがオレの新しいパートナーになる男なんだなと思ってね、頭のてっぺんから足のさきまでよおく観察してやった。体つきをみたら、こいつはタフなやつなんだろうなって、すぐにわかったよ」
ホークと健介は、新しいタッグチームとして新日本プロレスのリングでデビュー戦をおこなうまえに、アメリカで大がかりなデモンストレーションをやった。
ミネアポリスのスポーツ・バー“ローパーズ・クラブ”で毎月第3月曜の夜に開催される“酒場プロレス”の舞台を借りて、初めてタッグを組んだふたりが地元の無名レスラーたちを相手にストリートファイトのような試合をしてみせた。
テレビ朝日がこれをビデオに収録し、翌週の『ワールドプロレスリング』でその一部始終をオンエアした。
“酒場プロレス”のアンダーグラウンドな雰囲気がロード・ウォリアーズのイメージにぴったりだったし、ホークのようなビッグネームがいきなり来てくれたり、日本のテレビ局のカメラが入ったりで“ローパーズ・クラブ”のほうでも大喜びだった。
ホークと健介にコンビを組ませるアイディアから“酒場プロレス”での衝撃のデビュー、それを映像に収めるためのロケーションの段どりまで、すべての仕掛けはマサ斎藤のプロデュースによるものだった。
「オレからマサに連絡をとったんだ。もうアメリカでは試合はやらないから、ニュージャパン・プロレスリングはオレを必要としてますか、ってね。そうしたら、マサが『いい考えがあるからまかせとけ』って」
ぼくは黙ってホークのはなしに耳を傾けた。
「ケンスキーとはこれからずっといっしょにやっていくよ。あんまりことばは通じねえけど、試合になればコミュニケーションは問題ない。ナイス・ガイだ。オレは彼がビッグになっていくところを見届けたいんだよ」
1
2
⇒連載第1話はコチラ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス読本」と書いたうえで、お送りください。
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ