プロレスは“やる側”と“観る側”の知恵くらべ――フミ斎藤のプロレス読本#015【Midnight Soul編10】
プロレスラーは根本的には運動選手の集団だから、無意識のうちに偽らざる気持ちを体で表現してしまう。
プロレスはイミテーション・スポーツではない。もちろん、お芝居でもない。試合結果や記録だけに価値を求める純粋な競技でもない。やる側と観る側の知恵くらべのプレゼンテーションである。
プロレスラーが10人いれば10通りのプロレスの定義があり、観客が1000人いればそこには1000通りの解釈がある。やっかいといえば、ひじょうにやっかいなジャンルである。
ぼくはぼくで、プロレスの試合を観るとき、リングの上にいるレスラーと自分とを同一化することを試みる。ホーク・ウォリアーを観るときはホークになったつもりで、佐々木健介を観るときは健介になったつもりで試合に参加する。
ぼくよりもはるかに体の大きい相手が目のまえに立っていたとする。思いっきりショルダーブロックをぶつけてみる。倒れない。当然、数秒後には同じ技でお返しをされる。ぼくは何メートルも吹っ飛ばされる。
ならばとこんどはバックにまわってテイクダウンをとる。グラウンドになれば体の大きさのちがいはあまり関係ない。フロント・ヘッドロックで締めあげる。ざまあみろ、という気持ちになる。でも、効き目がない。腕をとられ、力ずくでスタンディング・ポジションに戻され、あっというまにボディースラムで真っ逆さまにキャンバスにたたき落とされた――。
思いどおりになるときもあれば、思いどおりにならないときもある。予想があたることもあれば、予想が外れることだってある。だから、この次はどうしたらいいのか、失敗しないためにはどうすればいいのか頭をひねって考える。
選手たちはリングのなかで闘いを展開しながら、観る側に対してありとあらゆるシチュエーションを提示してくれる。そして、観客はプロレスとプロレスラーのなかに自分を発見する。
窓の外に見える真っ黒な富士山をもういちど眺めながら、ぼくはたばこに火をつけた。
「おい、たばこを吸ってるのはだれだ。アスリートが乗ってるんだぞ!」
いきなり、トニー・ホームに怒鳴りつけられた。ぼくのすぐ後ろの席に座っていた栗栖正伸が不愉快そうに無言で窓を開けた。
もう寝静まっているものだとばかり思っていたら、みんなちゃんと起きている。あしたの試合のことを考えながらイメージ・ワークをはじめているのだろうか。
ぼくは急いでたばこの火を消して、目をつぶった。(おわり)
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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