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性別適合手術経験者に聞く、カミングアウト後の人生――女装小説家・仙田学の疑問

 高校2年生の夏に、未悠さんは母親にカミングアウトした。 未悠さん「体が男性ぽくなってきたことがきっかけでした。このまま何もしなければ、男性として生きていくことになる、と思うと焦りました。何とかして女性になりたい。一刻も早く女性になりたいって。母親はそれまで気づいてなかったみたいです。まさか自分の子が、って。けっこう悩んだみたいですけど、早く理解してくれました。理解してもらえなくて治療に進めない人も多いんですよ」  カミングアウトした後は、とても気が楽になったという。 「家族はいちばんの強い味方ですね。帰れる場所ができました。女性に近づけることは、私にとって本来の自分に戻れることなんです」  未悠さんの言葉のなかで、最も心に残ったのがこのひと言だ。  女性の肉体を手に入れることは、「女になる」というより、「女に戻る」ことだった。  性別適合手術を受けたのは、大学3年の2月のこと。 「ずっとしたかったことですし、その後も生きていける自信もありました。でも手術は、想像以上に痛かったです。ここまでして自分の姿を取り戻さないといけないのかな、という自分を責める感覚もあったかな。でも、もともと女性として生まれてくるはずだったのに、神様のいじわるで男性として生まれてきたわけで。年齢的には早かったほうだと思います。普通は30歳くらいにする方が多いみたいですよ。お金の問題とか、社会的にやっていけるかどうかとかで」

しんどかったのは「アフターケア」

 女性の姿を取り戻してから困ったことはあったのだろうか? 「アフターケアがしんどいです。膣の穴を拡張しないといけないんですよ。ピアスの穴と同じで、放っておくとふさがってしまうから。シリコンの棒を1時間、膣に入れるんです。それが1日3回。めっちゃ痛いですよ。傷口をえぐるような痛み。そのたびに自分を責めちゃいます。でもこれは、一生していかないといけないんです」  手術をする前にも男性と付き合ったことはあるが、どの男性もセックスができないとわかると離れていったという。 「男性にはそういうところがあるのかもしれないですね。女性には気持ちでつながるところが大きいので、女性から男性になったひとと女性のカップルのほうが長続きすることが多いみたいです」  大学を卒業した後には、アパレルの接客の仕事をしていくという未悠さん。すでにインターンとして働き始めている。 「手術をしたことは、面接のときには言いませんでした。でも受かった後にカミングアウトしたんです。隠していると、いつかバレるんじゃないかって怯えながら生きていかないといけなくなるので。そしたら社長から従業員に伝えてくださいましたし、皆さん普通に接してくれます。特に突っ込んで訊かれることもないですね」  「女になる/女に戻る」という大きな夢を叶えた未悠さん。今後は何かそれに代わるような夢があるのだろうか? 「女性として結婚したいですね。好きなひとと結ばれて、一生楽しく暮らしたい。子どもを産むことは無理ですけど」  男性、女性という区別にいったいどんな意味があるんだろう。取材をしながら、僕はずっとそう感じていた。 「ほんとそう思います。何なんでしょうね男とか女とかって」  未悠さんは柔らかい声で笑った。<文/仙田学>
仙田学

女装小説家・仙田学の女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!

【仙田学】 京都府生まれ。都内在住。2002年、「早稲田文学新人賞」を受賞して作家デビュー。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(NMG文庫、オークラ出版)、出演映画に『鬼畜大宴会』(1997年)がある
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