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初めて大勢のヒトの前で女装するのってどんな気持ち…? 女装小説家・仙田学の覚悟

 生きてきて本当によかったと、心から思えるときがある。人生にほんの1、2回しか訪れないかもしれない。  でも、何度も思いだすだろう。もしかすると死ぬ直前にも。僕にも、そんなときがあった。 第13回 女装小説家・仙田学の「女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!」 巨匠・篠山紀信に表紙写真を撮られた女装小説家の肖像――仙田学の『女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!』 数年前に、あるトークイベントに登壇してほしいというオファーを受けた。  僕は純文学の小説を書いている作家として、ラノベ作家の方と対談をすることに。与えられたテーマは、「ジャンルの越境」。おそらく僕が、純文学とラノベと両方のジャンルの作品を書いているからだろう。  このテーマを知った瞬間に、僕のなかでは女装姿で登壇することが確定した。というのも、ジャンルの枠組みを超えた表現活動をするという点では、小説を書くことと女性の格好をすることは変わらないと思えたから。  ただ、大いに困りもした。それまで女装をしたことは数えきれないくらいあったものの、人前に立つのは初めてだった。どうせなら、ひとりでも多くの人の心に爪痕を残したい。そんなことを考えたのも初めてだ。  それまでの女装は、変身願望の延長だった。つかの間でもいいから自分から抜けだして、普段とは違う姿になりたいという願望の。  ところが女装をしてみると、その姿は普段よりも遥かに自分らしいものに感じられる。たとえば映画や本や雑誌を通して憧れを募らせていた国に行ったときに、初めて見る風景なのに懐かしく思えるようなもの。  でも表現活動のひとつとして人前で女装をすることは、個人的な変身願望の延長とは少し違う気がした。つまり、自分から抜けだすためではなく、最初から自分らしくあるための女装。僕はそのことを通して伝えたいと思った。  自分が自分らしくいられるためには手段を選ばなくていいと。  その権利は誰からも奪われるべきではないのだと。  そのためには、すべてにおいて、自分らしさを追求した女装をしなければならない。メイク、髪型、服装、立ち居振る舞い……。細部まで考え抜く必要がある。  とはいえ「自分らしさ」はしばしば、自分では捉えがたいものだ。友達や知り合いに、どんな格好をすればいいのかを尋ねまくった。
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女装で登壇するのか、しないのか。それが問題だ
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