借金取りを本気で殺そうとしたプロレス少年の愛と絶望――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第5話>
―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築したのが青春私小説『死にたい夜にかぎって』である。切なくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”爪切男(派遣社員)による新章『死にたい夜にかぎって』特別編、いよいよ開幕。これは“別れたあのコへのラブレター”だ。
【第五話】側転して飛ぶ二人
雪の日に女の子と過ごした思い出がほとんどない。雪合戦をしたこともない。スキー場に行ったこともない。唯一の記憶は、女の子の作った雪だるまを粉々に破壊したことだけ。だが、あの日の雪景色を思い浮かべるだけで私はずっと生きていける。
二〇〇六年一月、数年ぶりに降った雪で東京の街は雪化粧。四国から上京してきて初めて見る雪に気持ちが高揚してしまった私は、「寒いの嫌だ!」と面倒臭がる彼女を近所の公園に無理やり連れてきた。ショートボブがよく似合う女の子の名前はアスカ。去年から同棲を始めた私の彼女だ。音楽家になることを夢見て上京したものの、心の病にかかってしまったアスカは、現在は仕事を辞めて自宅療養中の身であった。この冬が二人で迎える初めての冬だった。
辺り一面雪に覆われた白銀の世界。雪合戦で遊んでいる子供達のハイトーンボイスが耳にやかましい。喫煙所のベンチに並んで座り、煙草を胸いっぱいに吸い込む。同時に吐き出した灰色のけむりが溶け合って白の空に消えていく。
「あたし、寒いの嫌だって言ったのに!」
「そう言わないでさ。たまには外に出ようよ」
「まぁ、雪は綺麗だけどさぁ……」
「そうだろうそうだろう」
「……」
「雪、飽きてきたな」
「殺すぞ」
「アスカ、雪だるま作ってよ」
「はぁ? やだよ、てめえで作れよ」
「いいじゃん、良い運動だと思ってさ」
「死ねよ」
「アスカの作った雪だるまが見たいんだよ」
「新手の変態だ」
「……」
「う~ん」
「……」
「何円出す?」
「二千円」
「もうひと声」
「三千円」
「もうひと声!」
「五千円!」
「先払いでよろしく」
アスカはしわくちゃの五千円札をズボンのポケットにねじ込み、意気揚々と雪玉を転がしはじめた。先ほどまで私の横で身体をブルブル震わせていたとは思えない機敏な動きだ。初めて出会った時、アスカは唾マニアの変態達に自分の唾を売って生計を立てていた。「もう唾を金に換えないでいい。雪を金に換えるんだ。がんばれ!」。愛する彼女の背中にエールを送り続けた。三十分後、一メートルぐらいの大きさの可愛い雪だるまが完成した。雪だるまの頭をポンポンと叩いて得意顔のアスカ。彼女の奮闘をスタンディングオベーションで称える私。二人だけの幸せな光景がそこにはあった。
「ラーメン食べて帰ろうよ」とひと仕事を終えたアスカが私を急かす。「ちょっと待っててね」と彼女を制し、雪だるまの方を振り向く。懐かしい距離だ。私は雪だるまに向かって獣のように走り出した。
原因はハッキリしないが、多額の借金を抱えていた我が家。小学校の頃、チンピラ二人組が借金の取り立てに毎週姿を見せていたことがある。今にして思えば、口は悪いが気の良い兄ちゃん達だったのだが、子供の私からすれば、その傍若無人な振る舞いは風神雷神のような恐ろしさだった。学校帰りの私を捕まえて、赤ちゃんにするように高い高いをしてくれたり、相撲を取ったりと遊んでくれることも多かったが、二人の機嫌が悪い時は、腹を殴られたり、ランドセルの中身をばらまかれたりと散々な目にあった。親父が助けに来てくれるまで耐え続けるのが私の戦いだった。
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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