更新日:2018年04月10日 19:57
スポーツ

ジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニス イースト・ウエスト・コネクションの明暗――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第52話>

 AWAエリアの人気アイテムとなったイースト・ウエスト・コネクションは、ガニア&バションの王座返上によりAWA世界タッグ王者に認定され(1980年7月20日、コロラド州デンバー)、この“骨とう品”のようなベルトを約1年間キープした。  AWA世界タッグ王者としての実績は、ベンチュラとアドニスをニューヨークへと導いた。最初のWWEサーキットは6カ月契約だった。  まずアドニスがマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦で2カ月連続でボブ・バックランドのWWEヘビー級王座に挑戦(1982年1月18日、同2月15日)。つづいてベンチュラもガーデン定期戦でバックランドとタイトルマッチをおこなった(1982年3月14日)。  WWEでのサーキット生活はジャパン・ツアーにつながっていた。“単品”になったベンチュラとアドニスはそれぞれ別べつのスケジュールで新日本プロレスのシリーズに出場した。  ベンチュラの初来日は1982年(昭和57年4月)。蔵前国技館のワンマッチ興行でアントニオ猪木と対戦した。  アドニスの初来日は同年7月の『第2次サマー・ファイト・シリーズ』で、日本向きのテクニックが絶賛されて、その後、レギュラー出場。  ベンチュラは翌1983年(昭和58年)1月の『新春黄金シリーズ』にも再来日したが、関係者、ファンの評価はかなり低かった。  いまになってみると、新日本プロレスにおける評価のちがいがふたりの人間関係をこじらせた。イースト・ウエスト・コネクションはここで解散。ふたりが再会するのは、ビンス・マクマホンの“1984体制”がスタートし、すっかり大所帯になったあとのWWEだった。  WWEでのスターダムは、ベンチュラとアドニスの人生をちょっとずつ狂わせた。  ベンチュラは心臓のすぐそばに血栓が発見され、ドクター・ストップがかかって現役生活をあきらめた(1984年)。ステロイド使用の副作用がウワサされたが、ベンチュラはこれを否定しつづけた。  アドニスはディック・マードックとの新コンビ、ザ・ノース・サウス・コネクションでWWE世界タッグ王座を獲得したが(1984年4月17日=ペンシルベニア州ハンバーグ)、薬物依存症とストレス性過食症で体重が320ポンドに増えた。  ベンチュラはTVショーのコメンテーターに転向し、アドニスは“おかまキャラクター”に変身した。イースト・ウエスト・コネクションが再結成されることはなかった。  ベンチュラは俳優転向を試み、アーノルド・シュワルツェネッガーとのコネクションで『プレデター』『バトルランナー』などアクション映画数作品に出演。  アドニスはドラッグ・リハビリテーションに入院し、WWEを退団して新日本プロレスのリングで再起を図ったが、体も心もクリーンになったとたん、カナダ最北端のニューファンドランドをツアー中に“白夜”のハイウェイで交通事故に遭い、34歳で命を落とした。  アドニスがこの世を去ったのはアメリカじゅうでお祝いの花火が上がる7月4日、合衆国独立記念日の夜だった。  ベンチュラがプロレスとはリンクしない“ジェシー・ベンチュラ”を追求するようになったのは、このころからだった。  ホームタウンのミネアポリスのAMラジオ局で早朝のトーク・ショー番組のディスクジョッキーとなり、ベンチュラの“生しゃべり”が朝のドライブ通勤時間のワンシーンになった。  ベンチュラは政治、経済、音楽、エンターテインメント、フットボールとベースボールとホッケーのことはいくらでも話したが、なぜかプロレスのことはあまりしゃべらなかった。  1990年、ベンチュラはミネアポリス郊外のブルックリンパーク市の市長選に立候補し、トップ当選を果たした。  元プロレスラーのベンチュラの政治家転向はマスメディアの冷笑を誘ったが、ベンチュラは「オレと息子が釣りを楽しめるように」と“1万湖のレークの州”ミネソタの水の問題、ゴミの問題にクソまじめにヘッドロックをかけた。  それから8年後、こんどはミネソタ州知事選に立候補し、76万票を集めてまさかの当選(1998年11月3日)。民主党、共和党の有力候補を退ける大番狂わせに全米が驚いた。  出馬表明したときは候補者ディベートへの参加も断られたが、“モーニング・ラジオの声”だったベンチュラのわかりやすい政策、選挙公約が世代を超えた有権者を動かし、州全体の投票率は全米一の60パーセントまで上がった。
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もしも、ベンチュラとアドニスが出逢っていなかったら
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