ダイナマイト・キッド “爆弾小僧”のダイナマイト人生――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第54話>
年間250試合という殺人的スケジュールを約4年間にわたって消化してきたキッドとスミスは、1988年11月にWWEを退団してカルガリーへ帰った。
カルガリーでは、ブルース・ハートが規模を縮小したバージョンのスタンピード・レスリングを復興していた。
スミスはWWEとの再契約とツアー活動継続を希望し、キッドは全日本プロレスに活動の場を求めた。
スミスの“弟”というふれ込みのジョニー・スミスJohnny Smithを新パートナーに起用して日本の観客のまえに帰ってきたキッドは、すでにかつてのキッドではなくなっていた。
首の故障をダマしながらリングに上がっていたキッドは、33歳の若さで早すぎる引退を決意(1991年=平成3年12月)。キッドの“爆弾ファイト”はブレット、オーエン・ハート、そして“まな弟子”ベンワーへとバトンタッチされたのだった。
●PROFILE:ダイナマイト・キッドDynamite Kid
1958年12月5日、イギリス・ランカスター出身。本名トム・ビリントン。カナダ・カルガリーで英連邦ミッドヘビー級王座、ノースアメリカン王座、日本ではWWFジュニアヘビー級王座、アジア・タッグ王座、WWEではWWE世界タッグ王座を獲得。ダイビング・ヘッドバットは芸術品といわれた。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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