バンバン・ビガロ 頭にタトゥーを彫った職人レスラー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第72話>
ハードコア団体ECWでは若手選手たちのコーチ役も引き受けた。ビガロとECWプロデューサーのポール・ヘイメンは、ティーンエイジのころからニューヨークのナイトクラブ“スタジオ54”でよく顔を合わせていた不良仲間だった。
インディー・シーンでデビューしたビガロは、無名レスラーたちが集う“クラブ系”の薄暗いプロレス空間が大好きで、みんなにリスペクトされる場所であればどこのリングにでも上がった。
フルタイムの現役生活の最後のメジャー・ツアーはWCWのリングだった。“マンデー・ナイトロ”のTVマッチに乱入し、ゴールドバーグにケンカを売った(1998年11月16日)。
WCWには約1年間在籍し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジとのコンビでWCW世界タッグ王座を獲得。このときのギャラで“お弁当屋さん”をオープンした。
「40代からはプロレスは趣味」と語っていたビガロは、首、腰、ヒザに故障を抱えた状態で2003年にセミリタイア宣言。
テイクアウト・レストラン“バンバン・ビガロズ・デリ”(ペンシルベニア州ハムリン)をオープンし、みずからレジに立ってお客さんの相手をしたが、客商売はやはりむずかしかったのか、デリは約1年で閉店してしまった。
無名時代からいっしょだったデイナ夫人と離婚して――というよりも家から追い出されて――ハーレーダビッドソンに乗ってフロリダに南下。
フロリダで新しいガールフレンドと出逢い、ちいさなアパートメントで新しい生活をはじめたが、ある金曜の朝、眠ったまま息をひきとった。45歳だった。
●PROFILE:バンバン・ビガロBam Bam Bigelow
1961年9月1日、ニュージャージー州アズベリーパーク出身。本名スコット・ビガロ(正しい発音はビグロー)。1985年、デビュー。1987年、初来日。ベイダーとのコンビでIWGPタッグ王座獲得(1992年)。WWE、WCW、ECWでも活躍。2004年、セミリタイアしてレストラン“ビガロズ・デリ”を経営。2007年1月19日、フロリダ州ハドソンの自宅アパートメントで死去。司法解剖の結果、体内からコカインと多量の抗不安剤が検出された。
※文中敬称略
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦
1
2
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス読本」と書いたうえで、お送りください。
※日刊SPA!に掲載されている「フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー」が『フミ・サイト―のアメリカン・プロレス講座』単行本になり、電波社より発売中です
※日刊SPA!に掲載されている「フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー」が『フミ・サイト―のアメリカン・プロレス講座』単行本になり、電波社より発売中です
『フミ・サイトーのアメリカン・プロレス講座 決定版WWEヒストリー 1963-2001』 WWEはいかにして世界を征服したのか?幾多の危機を乗り越え、超巨大団体へと成長を遂げたその歴史を克明に描く「WWEの教科書」 |
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ