カート・ヘニング “ミスター・パーフェクト”という生き方――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第70話>
“ミスター・パーフェクト”は単なるニックネームでもリング上のキャラクターでもなく、カート・ヘニングそのものだった。
完ぺきなプロレスラー。完ぺきな夫。完ぺきな父親。完ぺきな息子。完ぺきな友だち。ヘニングは、パーフェクトとはいったいどういうことなのかをいつも考えていた。
名レスラー、ラリー“ジ・アックス”ヘニングを父に持つヘニングは、少年時代から“有名人の子”であることを自分の宿命、あるいは役柄ととらえていた。
父親は長男ランディをプロレスラーにしようとしたが、兄がプロレスに興味を示さなかったため、次男のヘニングがその役を買って出た。
ハイスクールを卒業後、ヘニングは2年間だけ地元のジュニア・カレッジに通い、まだどことなく頼りない体つきのまま21歳でプロレスラーになった。
地元ミネソタのAWAは、かつて父親が一世を風びしたオールドファッションなローカル団体。ルーキー時代はまだ現役だった父親とタッグを組むことが多かった。
ヘニングが“完ぺきなアスリート”に変身したのは1988年7月、WWEと契約したときだった。
WWEはヘニングの売り出し作戦として“ミスター・パーフェクト”がゴルフでホール・イン・ワンを打ち込むシーン、野球で場外ホームランをかっ飛ばすシーン、ボウリングでストライクを連発するシーン、ダーツ競技でどまんなかのブルズ・アイにダーツを命中させるシーンなどをプロモーション映像にまとめて毎週、TVショーでオンエアした。
ビデオの最後のシーンでは“ミスター・パーフェクト”がカメラに向かってニヤッと笑い「アイ・アム・パーフェクトI am perfect」とつぶやいた。
“マンデーナイト・ロウ”も“スマックダウン”もまだ存在しなかった時代の名作ビデオだった。
“完ぺきなアスリート”ヘニングは、レスラー仲間もうらやむバンプ=受け身の名人として知られていた。
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