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スティーブ・ウイリアムス 不死身のドクター・デス――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第79話>

 しかし、WWE専属の“放送作家”ビンス・ルッソーが「(ウィリアムスを起用できる)ストーリーが思いつかない」という理由からほとんどTVショーにも登場せず、約2年間の“飼い殺し状態”がつづき、2000年、WWEを退団して全日本プロレスに復帰した。  2004年(平成16年)4月、ウイリアムスはテキサスの病院で喉頭ガンの告知を受けた。ガンができたノドと声帯を切除する手術ではなく、化学療法と放射線治療を選んだ。  それは「手術をしたらリング復帰が遅れる」という理由からだった。ウイリアムスは、もういちど日本のリングに上がる日を思い浮かべながら最後の最後までガンと闘った――。 ●PROFILE:スティーブ・ウィリアムスSteve Williams 1960年5月14日、コロラド州レークウッド出身。1982年、デビュー。1983年から2シーズン、プロフットボール選手としてUSFLでプレー。1986年7月、新日本プロレスに初来日。1990年、全日本プロレスに移籍。テリー・ゴーディとのコンビで『世界最強タッグ』2年連続優勝(1990年=平成2年、1991年=平成3年)。1994年(平成6年)、三冠ヘビー級王座獲得。1998年、WWEと契約。2000年(平成12年)、全日本プロレスに復帰。2004年、ガン告知。2009年12月29日、コロラド州デンバーの病院で死去。49歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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