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スタイナー・ブラザース 仲よし兄弟の“おそろいのプロレス”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第78話>

スタイナー・ブラザース 仲よし兄弟の“おそろいのプロレス”<第79話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第78話は「スタイナー・ブラザース 仲よし兄弟の“おそろいのプロレス”」の巻(Illustration By Toshiki Urushidate)

 顔はあまり似ていないけれど、体つきとレスリング・スタイルはうりふたつの正真正銘の兄弟コンビ。

 ごついアゴひげをたくわえて髪をクルーカットにしているほうが兄リック(身長180センチ、体重127キロ)で、背がちょっとだけ高くて髪が長いほうが弟スコット(身長185センチ、体重125キロ)。

 1990年代を代表するタッグチームで、WCW、新日本プロレス、WWEの日米メジャー3団体でタッグ・チャンピオンとして活躍した。

 仲のいい兄弟らしく、いつもおそろいのアマチュア・レスリング式のシングレットを身につけていた。

 ミシガン州ベイシティー出身のスタイナー兄弟はミシガン大アマレス部出身で、ふたりともオール・アメリカン選抜選手。スコットはNCAA選手権6位(190ポンド級=1986年)。

 プロレス転向は兄リックのほうが1年早く、ミネソタ州ミネアポリスでエディ・シャーキーのコーチを受けるはずだったが、「この選手はすぐにでもデビューできる」と判断したシャーキーが、元オリンピック代表選手でプロレスラー兼コーチのブラッド・レイガンズに“補習”だけを依頼したという。

 弟スコットは、ミシガン大在学中に地元デトロイトでザ・シークからプロレスの“つぼ”とプロフェッショナルとしての心がまえをコーチされた。

 リックはルーキー時代はAWA、カナダ・モントリール、ミッドサウス地区(ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ)をサーキット。

 スコットはまったく別のルートでインディアナポリスWWA、テネシーを約3年間サーキット。1989年にNWA/WCWでようやくリック&スコットのスタイナー・ブラザースとしての活動をスタートさせた。

 チーム結成当時は、ルックスがあまり似ていないこととデビューからのツアー・コースがリンクしていないことから「あのふたりはほんとうの兄弟ではない」とウワサされた。

 スタイナー兄弟のトレードマークは、オリジナルの各種スープレックス、オリジナルの合体殺法の数かずだった。

 リックは“投げっぱなしジャーマン”、“空気投げパワースラム”などを独自にアレンジし、スコットは垂直跳びスタイルのフランケンシュタイナー、スタイナー・スクリュードライバー(ブレーンバスター式パイルドライバー)、テキーラ・サンライズ、オーバーヘッド・ベリー・トゥー・ベリー・スープレックスといった危険度の高い落下技の数かずを開発した。

 スタイナー兄弟としての初来日(リックは1987年=昭和62年2月に単独来日)は新日本プロレスの『91スターケードIN闘強導夢』東京ドーム大会(1991年=平成3年3月21日)。

 馳浩&佐々木健介を下し、いきなりIWGPタッグ王座を奪取した。リックとスコットのオリジナルの合体殺法と変形スープレックスのレパートリー、スコットのフランケンシュタイナーにドームが揺れた。

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リックもスコットも首と腰に故障を抱えていた

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