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“群馬のブラジル”すでに移民と共生する町を歩く/古谷経衡

 さて、ここまでならば観光客と何ら変わらない物見遊山である。私は、地元の日本人でも行かない彼らのコミュニティの内側を覗きたかった。よってブラジル人向けカトリック教会に、飛び込みで入ってみたのである。平日昼間、工場で働いているブラジル人は、夜間ミサを開催している。何食わぬ顔で入ったその現場では賛美歌が歌われ、神父はポルトガル語で何かをまくし立てている。私以外、約40人のミサ参加者は全員ブラジル人で、ポルトガル語話者である。  すっ、と一人の教会関係者が私にトランシーバーとイヤホンを渡した。「これを耳につけてください」と言う。イヤホンを耳に当てると、なんと神父のポルトガル語での早口の説教を、CNNジャパンばりに同時通訳してくれるのだ。40人の参加者のうち私だけが日本人だ。このたったひとりの日本人のために、彼らは神父の言葉を同時通訳しているのである。 大泉町 神父の説教はもとより、私は彼らのこの行為そのものに感動を覚えた。いつ来るかもしれない(実際はまったく来ないだろう)日本人のために彼らは周到に下準備をし、門戸を開放しているのである。帰り際、神父に話をすると、どこからともなくブラジル人の青年が通訳を買って出てくれた。神父の息子が明後日結婚式を行うので、ぜひあなたにも来てほしいという内容であった。胸が熱くなった。 大泉町 かつて日本人は、人口増と困窮にあえぎ、南米大陸に続々と移民した。現地での営農や起業は想像を絶する苦闘の連続であった。今、日本人は「外国人が来ると治安が悪化する、職が奪われる」という根拠のないレッテルで、右も左も入管難民法改正に反対している。  しかし現実にこの国には120万人の外国人労働者がおり、日本人のやりたくない仕事に従事し、日本社会の底辺を支えている。群馬のブラジル――。彼らの心は、既に開かれている。次は、私たち土着の日本人が、彼らに心を開くべきときではないか。神のもとでは何人も平等と説く神父の言葉に若干の後ろめたさを感じながら、群馬のブラジルを後にした。(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/文筆家/評論家。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数
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