更新日:2023年03月20日 11:02
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武将のオールスター戦「天下分け目の関ケ原の合戦」は後世の創作? カーマニアの古戦場巡り

小説やドラマで描かれる関ケ原の合戦は江戸時代の創作がベース?

 関ヶ原新説にも所説あり、なにぶん史料の乏しい昔の話なので、細かい部分は五里霧中ながら、簡単に言えばこういうことである。 その1 関ヶ原西南の松尾山に布陣していた小早川秀秋(兵数8000)は、開戦前から東軍方に寝返っており、石田三成も徳川家康もそれを認識していた その2 石田三成率いる西軍(新説によれば2万)が関ヶ原方面に移動したのは、小早川秀秋が東軍に寝返ったことが明らかになったので、それに備えるのが目的。東軍主力と関ヶ原で決戦を行うつもりはなかった その3 ところが、案に相違して東軍主力(数万?)も関ヶ原に移動し、西軍は不意打ちを受け、あっというまに壊滅した その4 決戦が行われたのは、関ヶ原盆地の中央部ではく、そのやや西、松尾山と天満山にはさまれた狭隘の地「山中」付近だった

関ケ原と言えばもう1つ、672年に大海人皇子と大友皇子による日本最大の内乱「壬申の乱」も有名。実際の有無はともかく、歴史に思いを馳せGWに関ケ原観光はいかがでしょうか?(画像は「関ケ原観光Web」)

 これまで、司馬遼太郎先生の『関ヶ原』をはじめとして、多くの歴史小説のベースとなったのは、明治26年に帝国陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史』。陸軍が刊行しただけに、公式文書のような存在となって通説化し、多くの小説やドラマに反映され、国民は一片の疑いも抱かずに受け入れてきた。  が、それは歴史考証を経ていない、江戸期の創作をベースとしたもの。関ヶ原に点在する「〇〇陣跡」の碑の位置も、すべてテキトーだというのだ! マジすか!   そんなことを今さら言われても「ウソだろ!?」とか、「よくある突飛な歴史異説のひとつじゃないの」と思われるだろうが、ベストセラーとなった『応仁の乱』の著者・呉座勇一氏(国際日本文化研究センター助教)も、著書『陰謀の日本中世史』(角川新書)の中で、「関ヶ原合戦についても近年、激しい論争が行われている。(中略)西軍の小早川秀秋が合戦以前ないし合戦開始直後に東軍に寝返り、あっという間に決着がついたことは、ほぼ確定した」と書いておられる。そーなんスか!? マジなんすか!  関ヶ原合戦異聞は、アカデミズムの世界でも、いまや定説となりつつあるらしい! ガーン!
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モテないカーマニア軍団が新東名で関ケ原へGO!
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中

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