カーライフ

無給油1100kmクリーンディーゼル車で関ケ原古戦場探訪。ゴール後あと何km走れる?

大谷吉継陣跡から小早川軍が陣を置いた松尾山を望む

 駐車場にパサートTDI(ディーゼル)を置いて石段を上り、JR東海道線のシブい踏切を渡る。その向こう側は、三成ら西軍主力が布陣した一帯(天満山)だ。背後に見える山は、小早川軍が陣を置いたといわれる松尾山。数年前にヒーヒー言いながら登ったが、それなりに高い。山頂から麓までは、駆け下りても30分くらいかかるだろう。8000の軍勢がすべて山を下りるには、もっと時間がかかったはず。小早川軍は、松尾山の山頂付近ではなく、主に山麓にいたのかもしれない。

松尾山

 踏切を渡って5分ほど山を登ると、「大谷吉継陣跡」となる。周囲は鬱蒼とした森だ。明治期までは薪をさかんに燃料として使ったため、現在に比べると山々の木ははるかにまばらで、この一帯もおそらくハゲ山に近かったと思われるが、なかなかそこまでの想像力が働かない。  薪を燃料にしなくなった今、日本の古戦場や山城跡は、あまりにも森林に覆われすぎている。もうちょっと木を伐ってくれ!というのは、歴史ファンの勝手な要望でした。

大谷吉継気分を満喫しました

 正確な場所はまったく不明だが、とにかく西軍諸将はこの付近に並んで陣を置き、小早川軍に備えたが、まさかの東軍先鋒の奇襲を受け、昼前には壊滅。大谷・宇喜多軍の奮戦も島左近(石田三成軍)の鬼神の大暴れも、すべて後世の創作。実際にはなかったのだ! 「ってことは、島津義弘の敵中突破もなかったんですか!?」  鹿児島出身の職人が、泣きそうな顔でつぶやいた。 「いや、それはあったらしいよ」 「そうですか。よかったです。僕ら、小学生の頃から洗脳教育を受けてますから……。妙円寺参りもしましたし」  妙円寺参りとは、島津義弘公の敵中突破をしのぶ催しのこと。せごどん(西郷隆盛)も参加した、薩摩人にとっての伝統的ビッグイベントである。島津の敵中突破は、一次史料にも認められるので事実だろう。  しかしこうして通説が引っ繰り返るというのは、歴史ファンには興奮でもあり苦痛でもある。中でも関ヶ原合戦は、日本史ファンにとってはオールスター戦。あっという間に決着がついたと聞くと、寂しさを禁じ得ない。

鹿児島出身の流し撮り職人と青森県出身の担当K

 担当Kが尋ねた。 「なぜ通説では、激戦だったことになったんですかね?」 「それは、徳川の世になって、家康様は強敵に打ち勝って幕府を開いた、ってことにしたかったからじゃないかな。敵が弱かったら、伝説にならないだろ」 「そう言われればそうですね。それにしても僕の田舎の青森には、こういう古戦場がまるでないんですよ。それが残念です」  このようにして、関ヶ原古戦場巡りドライブは、おじさんたちの濃い想いを残して終了したのであった。南無三。  ちなみにパサートTDI(ディーゼル)は、そのまま名神から新名神をぐるっと回り、東京に帰還した。走行距離約1100km。それでもまだ航続距離は約300kmも残っていた。やるなあ。クリーンディーゼル車こそ、古戦場巡りにも最適な男の乗り物である。うむう。 取材・文/清水草一 写真/池之平昌信
1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中
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