カーライフ

無給油1100kmクリーンディーゼル車で関ケ原古戦場探訪。ゴール後あと何km走れる?

― 男のドライブ旅 古戦場巡り関ヶ原編 全3回 ―

第3回 そうだ、西軍の名将・大谷吉継陣跡に行ってみよう!

 関ケ原合戦を身をもって体感すべくパサートTDI(ディーゼル)で関ヶ原古戦場へと向かった、モテないカーマニア軍団(おじさん3名)。今回は、通説と新説に思いを巡らせつつ南宮山を下り、吉川広家陣跡を横目で眺め、国道21号線を西進。ついに関ヶ原古戦場跡へと向かった――。  パサートTDI(ディーゼル)は、これまでの通算燃費を「リッター20km」と表示している。燃料は軽油なので、プリウスにひけをとらない少食ぶりだ。

島津義弘、大谷吉継……西軍諸将に想いを馳せる

 途中左手には、家康が陣を置いた桃配山の陣跡が見えるが、これも後世の創作ということで無視して前進。途中、超男臭い定食屋でミソカツ定食をかっこみ、JR関ヶ原駅前を通過した。このあたりは、通説によれば東軍諸将が陣を敷いた一帯だが、すでに通説は覆っているのでこれも無視である。涙。

山内一豊陣後近くにある、その名も「天下茶屋」は安くておいしいステキなお店でした

 それでも一応、関ヶ原探訪が初めての担当Kと流し撮り職人のために、「関ヶ原決戦地」の碑を見学。合戦終盤、三成軍が敗れたとされる地点付近だ。

関ヶ原決戦地

 そこから間近の笹尾山(通説では三成の陣跡)を眺め、鹿児島出身の職人のために島津義弘陣跡で合掌。この一帯には、通説における西軍諸将の陣跡が並び、私もかつては目頭を熱くしながら歩いたが、今回は新説を体感すべく「山中」方面へ進む。

島津義弘陣跡

 急な坂を下りて国道に出て右折。このあたりがかつての「不破の関」だ。やや進んで斜め右に入ると、旧中山道「山中宿」の街並みとなる。  合戦直後に出された書状などの一次史料によると、合戦が行われたのは「関ヶ原」と「山中」の2か所だったらしい。関ヶ原には大谷吉継のみが陣を置いたが、新説によれば福島正則ら西軍先鋒と小早川軍に挟撃され、最初に壊滅した。つまり、通説に沿って比定された「大谷吉継陣跡」は、場所がかなり違っている。実は大谷吉継陣跡一帯こそ、石田三成ら西軍主力が陣を敷いた場所「山中」だとされている。

山中。奥に見えるのが天満山

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大谷吉継陣跡から小早川軍が陣を置いた松尾山を望む
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中

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