ライフ

要介護5の神足裕司さん、車椅子でハワイへ。誰もが自然に手伝ってくれるハワイ

ハワイでは車椅子も「普通」

「飛行機を降りるとき、私が裕司を座席から車椅子に移したら、客室乗務員の方に『エクセレント!』『アメージング!』『うちで働かないか?』ってスカウトされちゃいました(笑)」と明子さん。とにかく、皆が皆、フレンドリー。  ハワイはバリアフリー化が進んでいるとは知っていたけれど、実際、車椅子で旅をしてみると、その充実っぷりは想像以上だったという。 神足裕司さんハワイ旅行 バリアフリー ビーチはワイキキもアラモアナも、車椅子やベビーカーで波打ち際近くまで行けるようシートが敷いてあり、砂浜を走ることができる車椅子も無料レンタルできる。 神足裕司さんハワイ旅行 ビーチ「道路は老朽化しているところもあるけれど、段差に困ることはまったくありませんでした。どんな小さな路地でもフラットになっていたし、『さすがにここにはないだろう』というような町外れの寂れたジューススタンドでもスロープがあって驚きました」 神足裕司さんハワイ旅行 道路 車椅子だから行けませんというところはなく、行けなかったとしても、誰かが行けるようにしてくれた。  たとえば、楽しみにしていたホテルのプールでのこと。リフトがあるからこそ選んだホテルだったが、行ってみるとまさかの故障中。  ショックだが仕方がない。人力でなんとかしようとしていたとき、ホテルの下働きの男性たちが「手伝うよ!」と声をかけてくれた。 「彼らは長ズボンのままジャボジャボと水に入って、裕司をプールの中へ入れてくれたんです。笑顔で『いつでも言ってね!』って。感動して一緒に写真撮影をお願いしたら、『僕らも撮っていい?』ってうれしそうに言ってくれて、それにまた驚いてしまって。その後、会うたびに『今日はいいのか?』って気にかけてくれました」 神足裕司さんハワイ旅行 ホテルのプール これだけではなかった。  独立記念日夜、ビーチ沿いのオープンテラスのレストランで食事をしていたが、花火が見えずらかった。砂浜なので外に出ることは無理と諦めた。  すると、お店の人が「どうぞ!」とビーチへと続く裏扉を開けてくれ、砂浜へと降りる階段は、花火を見ていた人が車椅子ごと持ち上げて砂浜に下ろしてくれた。  花火が終わると今度は、近くにいた別の人たちがこぞって「もう戻る?」「僕たちが手伝うよ」と声をかけてくれた。 「カイルアのパンケーキ店も印象的でした。順番を待って案内されたのが、店の奥の席だったんです。店内は混雑しているし、車椅子では無理だって思ったのですが、お店の人はずっと、『平気! 平気! こっち!』って呼ぶんです。迷惑かけちゃうな……と思いながら進むと、お客さんがみんな、スッスッって立ち上がって通してくれて。あぁ、お店の人が言う『平気』っていうのはこういう意味なんだって」  車椅子での外出はどうしても制約がある、というイメージがある。レストランではだいたい入り口近く。でも、ハワイではどのレストランに行っても「席はどこがいい? 外にする?」と聞いてくれる。そんな「普通」の扱いが新鮮だったそう。 「私たちが申し訳なさそうにしていると、笑顔で『私たちも一緒に楽しんでいるのよ』『Enjoy!』と声をかけてくれるんですよね。専用駐車場がいっぱいのこともよくあったし、街やビーチで車椅子の人をよく見かけたし。なんていうか、特別な存在じゃなくて、車椅子もここではノーマルなんだなって」 神足裕司さんハワイ旅行 駐車場 この後、神足さんはハワイでVRを使って、さらなる「やりたいこと」を実現させる(次回)。 【神足裕司(こうたり・ゆうじ)】 1957年、広島県生まれ。コラムニストとして週刊SPA!などに連載をしながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開、朝日新聞デジタル、RCC中国放送のウェブサイトや介護ポータル「みんなの介護」などで連載中。  復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)、『コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』(朝日新聞出版) <取材・文/鈴木靖子>
1
2
3
父と息子の大闘病日記

新しい日常を築いていく過程を父と息子がそれぞれの立場からつづる

おすすめ記事