更新日:2023年05月17日 13:30
ライフ

父親の死で直面した「商品としての葬儀」の話/鴻上尚史

父親の死で経験した初めてのこと

 それでも、葬儀社の人は淡々といつもの進行をしているわけで、別に僕に対して特別ないじわるをしているわけでは当然なく、この国で死ぬということは、死を金額にしていくことなんだと深く思いました。  翌日を通夜にすることにして、葬儀会館の一室で、叔父夫婦が帰った後、父親の隣で寝ました。  一晩、一緒に寝られるというシステムにしてくれていることに心底、感謝しました。  ドライアイスで父親の遺体は、冷やされていましたが、隣で寝ていると、初めて嗅ぐ匂いが漂ってきました。「ああ、これが死の匂いなのか」と感じました。  次の日、実家に戻って、父親の遺影になるような写真を探し、なおかつ、スライドショウのように最大12枚、父親の写真を上映できるというのでさらに探し、父親の人となりを表すような絵とか何かあれば展示すると言われたので、父親が撮って額に引き延ばした風景写真と父親の俳句、エッセーを選び、喪服はレンタルできても靴と白シャツは別だと言われたので買いに行き、会葬者に配るあいさつを定型で済ますのは嫌なので書き、葬式の最終的な手筈をいろいろとしているうちに、あっという間に通夜の時間になりました。  そこで、集まってくれた人達に喪主としてあいさつをと言われ、生まれて初めて、話しながら泣きました。  泣いて言葉が出ないという経験は初めてでした。  その夜は、弟も父親と一緒に寝ました。  そして、翌日が葬儀。  午後14時からにしたのですが、朝10時からさらに葬儀の打ち合わせが始まり、12時に納棺の儀式をすませ、弔電の整理をして、あっという間に14時になりました。  この話、次回に続きます。新年早々、死の話で申し訳ないです。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

『週刊SPA!』(扶桑社)好評連載コラムの待望の単行本化 第19弾!2018年1月2・9日合併号〜2020年5月26日号まで、全96本。
1
2
おすすめ記事
ハッシュタグ