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<純烈物語>男所帯で夢を追う純烈に重ねる甲子園を目指した情景<第43回>

甲子園の土を踏んだ第一印象は……

「甲子園の第一印象はデカい! すり鉢状になっているから大きく感じましたね。あとは暑い! 人がすごい! 1回戦は完全に舞い上がっていました。あの中で3試合もできたのはありがたいですよ。出たくても出られない場所じゃないですか」  1回戦は愛知・東邦を2対0、2回戦は福島・学法石川を8対3で下して迎えた3回戦。相手はこの年準優勝を果たした沖縄水産で、5対7の接戦の末に敗れた。  巨大なアルプススタンドに囲まれても、山本の巨体は際立っていた。出場49校の登録選手中もっとも長身であり、体重100kg超えはベンチ入りした735人で唯一。それほど恵まれていれば他のスポーツも黙ってはいない。中学卒業時に相撲部屋へ誘われ、本人はあとで知ったことなのだが高校3年の時に社会人ラグビーのスカウトが来て、父親が断ったらしい。 「まあ、4番でファーストといっても僕らの代はピッチャーがよくて出られたようなもんでしたからね。その後の人生においても、甲子園に出たことは生かされんかったです、ワハハハハ。ただ、部活って縛られた中でいかに楽しむかというのがあるじゃないですか。それが今と同じなのかなって思います。純烈も、芸能界や音楽業界にある枠組の中で楽しいことをやろうとしている。  そういうことを経験したからこそ今回、センバツが中止になったのは切ないですわ。あそこを目指してやってきたのに、立てないなんて……夏があるからって言いますけど、一発勝負ですから。何か違った形でも、出場校の生徒さんに甲子園を味わってもらう方法はないもんですかねえ」  純烈にとっての紅白歌合戦が甲子園だとすると、出場歌手に選ばれながらステージに上がれなくなったようなものである。元高校球児として、他人事ではないのだ。  本人の努力があってこそだが、高校までの人生は順風満帆だったと言っていい。ところが、ここから山本の物語は目まぐるしく流転していく。まず、卒業後に地元の企業へ就職し、そこで社会人野球をやるつもりだったのが入社から半年で休部となった。  もともとは大学にいって続けるつもりでいたが、そこに入ることができなかった時点で野球はやめようと思っていた。しかし、2月頃に声がかかり甲子園の次は東京ドーム(都市対抗野球)を狙うのもいいかとなった。  ところが世の中ではバブルが弾け、会社に野球部を運営する余裕がなくなってしまったのだ。それを機に退社した山本は、9月に別の企業へ再就職。  ここで野球とは無関係のサラリーマン生活に入ったのだが、その年の暮れに高校時代のチームメイトから電話があり「もう一度、ウチでやらんか? 監督も山本に来い言うちょるぞ」と誘われる。そこは福岡にある九州産業大学だった。  一度は足を洗った野球だし、ましてやこれから入学するとその友人の1年下となってしまう。若いうちは、そういうものが気持ちの上でネックとなる。  断りを入れた山本だったが、年明けに今度は野球部の監督から直接説得された。そこで本当は心のどこかに、野球をやりたいとの思いが残っていることに気づく。社会人経験ではあったものの、一浪した形で九産大2部に入学。山口を出て、関門海峡の向こう側にある街・博多での寮生活が始まった。(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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