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<純烈物語>福岡~沖縄、そして大阪へ―― 波乱万丈、純烈マネジャー20代流浪記

稲葉、高橋由、今岡……大学ジャパン合宿で見せつけられた現実

「法政の稲葉篤紀(侍ジャパン・2020東京五輪日本代表監督)、慶応の高橋由伸(のちの巨人軍監督)、大商大の谷佳知(柔ちゃんこと谷亮子の夫)、東洋大の今岡誠(アトランタ五輪代表)、高木大成(桐蔭学園、慶大で高橋の2年先輩)、亜細亜大の入来祐作(巨人軍ドラフト1位)……まあそうそうたるメンツが参加していたんです。その中で合宿をやって、こういう人たちがプロにいくんやなと思い知らされて。  世の中には“努力は天才にも勝る”っていう、ええ言葉がありますよね。でも、天性のものを持った上でその人たちは努力をしとるんですよ。そうなると僕らのような人間は努力の先のものを持っていないから追いつけない。たとえば130km投げられるピッチャーが努力すれば140km投げられるようになったとしても、160km投げられるのは持っている人間だけなんです。名門で4番言うても、そんなのはお山の大将ですわ」  クラウンレコード・アーティスト担当の新宮崇志も、甲子園を経験しながら他者の存在によって己の実力と才能を知り、プロの世界に背を向けた。これを挫折とするか否かは本人の受け取り方だが、一つ確かなのはいずれも果たせなかった夢を、いいオトナになっても別の形で追い続けていること。  つくづく純烈は、夢の集合体であるのだと思う。山本の場合、その人生において分岐点が訪れると必ず導く人間と出逢った。宇部商・玉国光男氏をはじめ社会人、大学も監督から直接誘われて進路を決めた。  そして大学卒業時にも琉球銀行の監督から声がかかった。「沖縄かぁ、いってみようかなぐらいの感覚」で、山本は本土を離れ南へと流れる。  銀行といってもチーム自体は企業が直接運営するのではなく、形としてはクラブチームだった。その社員もいれば消防官、自営業をやっている人たちが週末に集まり、練習を積んで東京ドームで開催される都市対抗野球全国大会を目指す。  勧誘されたさい、山本は沖縄での生活について「関連会社への就職をなんとかする」と監督に言われた。年明けに福岡の寮を出て、入社まではアルバイトで凌ぎ、春から野球を再開するつもりでいた。  ところが4月になると関連会社に入るのは無理と言われる。話が違うと思ったが、沖縄での生活は始まっているのだから急にやめられない。とりあえず監督の紹介で昼はブロック屋、夜は焼き肉屋で働き、平日はその合間を縫って、自主練習、週末には全体練習へ参加する日々を続ける。  そんな生活も数ヵ月流れたある日、監督が「昼夜掛け持ちで働くのはキツいだろう」と金融会社を紹介。言われるがまま面接にいったところ面接官が横柄を通り越しケンカ腰な態度をとってきた。 「こっちは面接にいけと言われたから来たのに、なんやその態度は!と黙っていられなくて。いやあ、若かったですからねえ。これじゃ採用されるはずもないわと思って、面接が終わったらその場を飛び出たんですけど、なぜか受かりました」  これは山本の武勇伝というよりも、二十代で血気盛んだった194cmのジャイアントアスリート対し、そのような態度をとる方がむしろすごいのではとも思う。もしかすると、ちょっとやそっとのことでは退かない度胸があるかどうか、試すための出方だったのだろうか。  しかし、山本は先輩に相談したところ「そんな会社にはいくな!」と助言され入社せず。その紹介を得て、料理屋一本で働くようになる。
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「こう見えても人見知りなんです」
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