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<純烈物語>紅白出場曲を生み出した幸耕平の作詞・作曲方法論<第48回>

純烈紅白

<第48回>音楽的視点から純烈を検証。紅白曲を生み出した幸耕平の方法論

 これまで当連載においては、メンバーだけでなくさまざまな関係者の口から聞いた純烈の物語を綴ってきた。そうした中で、まだ本格的に触れていない部分がある。音楽的視点から見たその実像だ。  純烈は芸能界の住人であり、さまざまなことをやりつつも音楽活動を主軸としている。その中で評価され、紅白歌合戦に出場するまでのグループとなった。  たとえ純烈を描くストーリーが人々の心に響くものだとしても、そこを書かなければ木を見て森を見ずになってしまう……そのような思いがずっとあった。  酒井一圭は、戦略として「うまくなりすぎると応援されない」とし、それに合わせたパブリックイメージを描いてきた。一方では、マネジャーの山本浩光が語ったように、泣くほどの思いをしながら白川裕二郎が歌の実力を地道にあげてきた事実もある。  2年連続紅白に出場し『プロポーズ』と『純烈のハッピーバースデー』が10万枚超えを果たし、後者は昨年の日本レコード大賞優秀作品賞にも選ばれた。実績を並べると、どこへ出しても恥ずかしくない輝かしいものとなる。  では、それを戦略の面ではなく作品としての方法論から分析することで、よりアーティストとしての純烈がどんな立ち位置にいるかが見えてくるのではないか。音楽クリエイターの視点からそれを語っていただくとすれば、この方しかいないと思った。紅白出場曲2作品と現在、ヒットチャートを駆けめぐっている最新ナンバー『愛をください~Don’t you cry~』の作詞・作曲者である幸(みゆき)耕平先生(以下、敬称略)だ。  純烈と幸の関係性において衝撃的だったのは、オーダーの時点で酒井が「紅白に出られる作品を作ってください」と告げたことである。常識的な受け取り方をすればこんな無茶なお願いはないし、またそれを請け負う側にとってはとてつもないプレッシャーとなるだろう。  酒井はドヤ顔で語るが、幸の方はそれを切り出された時にどう思ったのか。そしてその作品によって本当に純烈を紅白まで到達させることができる手応えはどれほどあったのか。それを確認したかった。  事務所である「幸耕平音楽事務所」のメールアドレスを通じ、担当者とされている方宛に取材依頼を送ると、ありがたいことにご本人から直々の返信が来た。そこには、こう記されていた。 <僕はあまり表に出ないように心がけて、審査員もしませんし、テレビの番組なども一切出ないようにしてきました。しかしながら、純烈は確かに今売れていますし、純烈のことに関してのインタビューでしたら取材を受けても良いかと思います>  純烈だからという理由――この時点で、両者の関係に絞り染めの模様のごとく物語性がにじんできた気がした。演歌・歌謡界の大御所というイメージと相まって、初めてお会いする前から勝手にプロレスラー・天龍源一郎のインタビューにいく時と似た“構え”を抱きつつ後日、事務所を訪ねたのだった。

どうしても紅白に出したいグループがいるんだけど、唄を書いてくれないか

「純烈に関してはね、今から3~4年前にクラウンレコードの常務から『どうしても紅白に出したいグループがいるんだけど、唄を書いてくれないか』と依頼されたのが最初でした。もちろんその存在は知っていたけど、僕にそんな話が来るかどうかもわからない。ただ、クラウンとは親しくしていたから、よく話には出ていたんです」  純烈はデビュー以来、ザッツ・ムード歌謡と言わんばかりの楽曲を歌ってきた。売れるために“空き家”を狙ったのだから、トラディショナルな方向性でいくのは至極当然である。ただ、幸はそれを聴いてもっと歌謡曲っぽいものの方が売れるのではと思っていた。  純烈のファン層は五十代前後のマダムだから、まず何よりもその心に刺さらなければならない。『ザ・ベストテン』直撃世代が若い頃にあこがれた世界観を引っ張ってくることで、無意識の懐かしさとともに気持ちをあの頃へと戻す。 「僕は純烈の曲に関してムード歌謡曲を作ったつもりがなくて、’80年代の日本のポップス、歌謡曲をイメージしたんです。具体的には“チェッカーズが四十、五十代になりました”という曲。そこに同世代のおばちゃんたちに刺さる詞を乗せようと思って書いたら、なんとなく書けちゃった。最初はメロ専のつもりでいて、誰か作詞家に頼もうと思っていたんですが、もともとバンドマンだったので付き合いのある作詞家が当時はいなくて。  それで結果的に曲も詞も書いて、まだ1番しかできていない時点でどんなものかとディレクターに見せたら『先生、これでいいじゃないですか。2番も書いてください』となった。純烈のメンバーも、気に入ってくれて。だから、最初から作詞・作曲として依頼されたわけではなかったんだけど『すべてお任せします。作詞も誰に頼んでもいいですよ』と言われたから、それじゃあ自分が書いてもいいわけだと」  大学生時代からアマチュアのロックバンドを組み、プロとしてもプレイヤー経験を積んできた幸は、1977年に石野真子の『ジュリーがライバル』で作曲家としてデビューし、ヒット作を次々と生み出してきた。メロディーを考えるさいに、リリックのイメージも湧いてくる。それで作詞も手がけるようになった。  幸はスーパー銭湯における純烈のライブを見て、熱狂するマダムたちの気持ちを考えた。『プロポーズ』の歌詞は、リスナー視点によるものだった。 純烈プロポーズ「お風呂屋さんでメンバーと写真を撮って抱き着いているおばちゃんたちは、もう何十年も前に結婚はしたけど今、純烈にプロポーズされたら……という夢を見るだろう。そういう人がシビレちゃうのは、カッコよくて回りくどいセリフじゃなく、歌って2、3秒で理解できるようなものじゃなければならない。一周まわって『好き』じゃなく、ポーンと『好きだよ』と言われたほうがキュンとする。  これが若い子たちならロマンティックにプロポーズをされる場所やシチュエーションを考えるんだろうけどおばちゃんたちは今、目の前にある指輪を贈るから、花束を渡すから結婚しようと言われた方がわかりやすい。それをそのまま書いたから、大した詞じゃないんですよ」  確かに、若い頃ならばいろいろ想像を膨らませた上で風景描写をするのだろうが、マダム層は人生経験を積む中で本当に必要なもの以外をそぎ落とす術を得ている。現実的である一方で、夢にありつける最短距離にもなるはずだ。
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シングルCDを10万枚売るという、紅白への高い「カベ」
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