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<純烈物語>作家が喜んだのは「紅白出場曲への約束」よりも「頑張り」<第49回>

「歌がヘタな人には歌わせたくない。ヘタな人はどんなにひっくり返っても売れない」

「うん、歌がヘタな人からは得られないよね。歌がヘタな人には歌わせたくない。ハッキリしているんですよ、ヘタな人はどんなにひっくり返っても売れないって。歌うこと自体は誰もができても、うまくなるって要するに売れるようになることだから、簡単じゃないんです。売れている人はやるべきことをやっている。  僕の思った通りに歌ってくれた上で、思った通りの状況になった時に『よかった』って思える。全部が全部売れるわけじゃないから、ならなかったらここをもうちょっと頑張ってみれば……というようにしていくんです。僕はレッスンしないと唄を書かないですから。歌がうまくなったなと思わないと書かない。違う人に書いてもらって、って言っちゃいます」  歌い手が向上心を持ち、それが描いていた結果につながれば、幸はささやかな達成感を味わえる。依頼された仕事を終えたらあとはお任せではなく、生みの親として育ての親の姿勢をつぶさに見て、目標達成までの過程を共有する。  純烈との関係においても、その姿勢は変わらない。「僕らはヘタですから」という世間に対するカモフラージュの裏で、この数年における成長ぶりを誰よりも至近距離から見てきたのが幸だ。 「うまいかヘタかで言ったら、まだまだですよ。でも、僕のところに来て3年経った今はかなり向上しています。3年間教えてきたわけだから。白川は相当うまくなったと思う。彼はよくレッスンにも来ているし『おまえはリードボーカルなんだから、意識しておまえだけでも勉強しろ』ぐらいのことは言っています。  たまにテレビでほかの人の唄を歌うと、これがヒドいものになっている。そういう時は『ああいう唄を歌う時は、ちょっと俺のところに来て練習しろ』ってすぐ電話しますもん。でもかなりの勢いで白川は向上しています。メンバーも今まではなんとなく白川がリードボーカルだよな、でもみんなで順々に歌えばいいというニュアンスだったのが、今は完全に白川=リードボーカルと認識している」  新曲『愛をください~Don’t you cry~』は、白川のソロ曲という認識で作ったと幸は明かす。それはボーカリストとしての確立とともに「プロとして、歌手としての勝負をここでしなければ、3度目の紅白はない」との見立てによるものであり、メンバーにもそう説明した。  白川がプロのボーカリストとしてしっかり歌い、そこにコーラスが重なっているからいい曲なのだと世の中で受け取られなければ……そこまでのハードルを幸は課した。また、それ以外も「ものすごくうるさく言いました」。  新型コロナウイルスの影響下でなかなか伝わりづらいが、今年の純烈は昨年、一昨年と曲との向き合い方をガラッと変えている。完成した音源を聴き、幸は「楽曲として、自分が手がけた3曲の中で仕上がりが一番ちゃんとしている」と、確かな手応えを得られたのだった。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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