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<純烈物語>トータルプロデュースがひとつの共通項。作家とリーダーに流れる気質<第50回>

最初に書いた曲が紅白曲へ

「僕はミュージシャンだから自分で歌いたいと思って音楽をやってきたわけではなかったし、作曲家になろうともまったく思っていなかったんだけど、たまたま松本さんに誘われたり、いろんな理由があったりで書いてみたら『ジュリーがライバル』が売れちゃって。そこからどんどん頼まれるようになったんです。  当時のスタジオミュージシャンとしてのギャラは一曲1万円ぐらいで、それに対し自分で作曲した作品が50万枚も売れたら、もう雲泥の差なわけですよ。ある時期までは並行してやっていたけど、そのうち作曲家だけでやっていけるようになっていった」  作詞・松本、作曲・幸による『ジュリーがライバル』(1979年)は、石野に初となる大晦日への切符をもたらせた。つまり作家としてのデビュー作品が、紅白曲となったのだ。  業界が放っておかなくなったのも当然である。しばらくポップスを書いていたところ、演歌の大御所・大月みやこと知り合う。その時のディレクターで、現在はキングレコード会長を務める坂本敏明から「演歌を書いてみないか」と勧められた。 『ジュリーがライバル』と同じく松本・幸コンビによる大月68枚目のシングル『乱れ花』(1988年)は41万枚のヒット曲となり、これも紅白曲に。さらには、第9回「古賀政男記念音楽大賞」も受賞した。 「それによって昔の知り合いから連絡が来るようになったんです。どういうことかというと、ロックをやっていた人間が歌謡曲だの演歌だのを書いているのが気に入らない。ロックミュージシャンって『ロックとはこういうものだ!』とこだわりを持つ人が多いじゃないですか。だから僕のやっていることに対し『そんなのはロックじゃない』となる。  そんなこんなあって、僕は目立たないようにしているんです。作家は売れればそれでいいんですよ。表に出ないのがロマンじゃないの」  純烈に関する取材なら――幸から届いた返信メールを思い起こした。表に出ないようにしているその裏には、本人にしかわからない辛さがあった。  その上でこうして語る気になったのも、周囲を巻き込んでいく純烈の熱量によるものと言っていい。そうでなければ、どこの馬の骨ともわからぬ人間のインタビューなど受けまい。  すべては純烈への信頼によって成り立っていることを、取材中に強く実感させられた。シングルCD3作品分をリリースしているが、複数のタイプを出すためカップリング曲もそのつど作曲する必要がある。7月29日に発売される『愛をください~Don’t you cry~』のCタイプとDタイプを含めると、19曲を手がけたことになる。 「最初からCD作品分というわけではなく、売れているから続いている形です。今年、紅白に出られなかったら来年は僕、ないかもしれないね。もともとすべてをお任せしますということだったから受けたわけだし、酒井君にも『先生、うるさく言ってください』と言われたんで、それができるうちは続けている。  だから、歌だけに限らず振り付けや衣装にも僕は口を出しますよ。たまたま衣装のデザイナーが僕の昔からの知り合いで、よく話をするんです」  作曲家でありながら、作詞もする。そして作品に合わせたイメージが湧けば、衣装に関するアイデアも浮かんでくる。トータルプロデュース気質なところは酒井と共通している。  詞や曲を作るにあたり、徹底してリスナーの心理を洞察する方法論は、リーダーが純烈の中でやってきたことそのもの。また、音楽に関してはジャンルによる分け隔てがないところも同じだ。幸から見て、酒井はどんな人間に映るのだろうか。 「ものすごく頑張り屋だし、リーダーとしてはとてもいい。頭もあるし、喋りなんて最高じゃない。でも何よりもいいのは……欲があること。やっぱりこの世界、欲がなくちゃダメなんですよ。  タレントって、いろんな形の人たちがいるから特に酒井君だけが変わっているとは思わないな。それを言うなら、変わった人間じゃないと売れないのだと思うけどね。純烈のコンサートにもいくけど、酒井君がステージで『今日は幸先生が来ています』って振るんだけど、僕は絶対に立たない。まあ……酒井一圭あっての純烈でしょうね」  歌モノに限らず、純烈が出演する番組はけっこうチェックしているという。やはり酒井のトークには、惹きつけられるものがあるようだ。  知り合ってからしばらくして、幸は事務所近くにあるカレー屋へ酒井がよく訪れていたことを聞かされたという。最寄り駅の三軒茶屋は、純烈スタートの地……まだ歌のイロハさえも身につけていなかった彼らと、どこかですれ違っていたのかもしれない。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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