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<純烈物語>東京お台場 大江戸温泉物語と純烈の関係性を築いた元支配人の情熱物語

■純烈は「家族のよう」

「我々も微力ながら応援できたことが嬉しく思えました。凱旋ライブに関しても、スタッフのシフト調整やお客様のご対応、タイムスケジュールが不明確なところもあって大変でしたが、イベントスタッフも純烈さんが大好きですので、嫌な顔一つせずに頑張っていました。元日の朝まで家には戻れませんでしたが、家族も凱旋ライブをやることは『すごいね』と喜んでくれていました」  純烈を「家族のよう」と言った安田さん。本当の家族も、もう一つの家族のために理解を示した。そこまでの思いを抱けるのは、単に月一のライブを続けていたからではない。  東京お台場 大江戸温泉物語では各イベントを実施するさいにセレモニーを催し、昨年は3度純烈が出席(4月1日=足湯庭園リニューアルオープン記念、6月24日=大江戸温泉金魚物語~金魚祭りアート博覧会、11月11日=ウインターイルミネーション点灯式)。安田さんも支配人の立場から登壇し、挨拶をする場である。  普段は人前に出る仕事をしていないだけに、それは緊張もする。そういう時にメンバーにスタッフを含んだ純烈軍団に声をかけられ、リラックスできたのだという。  とくに3度目のセレモニーは2度目の紅白に選ばれるかどうかという時期で、他人を気遣えるような余裕がなくても致し方がない状況。でも、純烈は違った。ビジネスを超えたやさしさが、安田さんの心の中へ江戸の町の人情のごとくじんわりと染み渡っていった。  そうした関係性を築いてきただけに、今年3月に訪れた異動は後ろ髪を引かれる思いだったはず。東京お台場 大江戸温泉物語を離れる最後のライブで、安田さんは初めて純烈との写真を撮ってもらった。そればかりか、サプライズでメンバーからの動画メッセージも届いた。 「あれには本当にビックリしました。私の宝物です。移動先のホテルニュー塩原では、以前に1度純烈さんのライブがおこなわれているので、まずはもう一度開催できることを新たな勤務先での目標にしました。異動後も私の中の純烈は変わっていません。こちらに来てからは生で見ていないので、イベント再開時には真っ先に山本マネジャーへ出演依頼を入れたいと思っております。  純烈さんとの出逢いも、弊社に入社していなければなかったと思います。お客様や職場の仲間、いろいろな人たちとの多くの出逢いは、新しい発見につながりこの仕事をやる上でやり甲斐を感じます。ホームグラウンドと言っていただき誇りに感じますが、それは純烈の魅力によってファンの皆様に大勢いらっしゃっていただけただけです。私はこれからも応援するだけです」  純烈とかかわったことで得られた最大のものは?という質問に対し、安田さんは「楽しむ、楽しませることです」と、シンプルに回答した。それはまさにグループの変わらぬ姿勢そのもの。  そして安田さんのアテテュードは、東京お台場 大江戸温泉物語に今も息づいている。全国には、同じような思いで純烈を応援する健康センターが多くある。  ファンだけではない、そこにも純烈が戻ってくる日を心待ちにする人々の存在がある。途切れてしまったようで、ちゃんとつながっている――それを実感させられた大江戸温泉ストーリーだった。 撮影/ヤナガワゴーッ!(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』が発売

白と黒とハッピー~純烈物語

純烈が成功した戦略と理由がここに
「夢は紅白!親孝行!」を掲げ、長い下積み時代を送ってきた純烈がいかに芸能界にしがみつき、闘ってきたのかを、リーダー酒井のプロレス活動時代から親交のあるライター鈴木健.txtが綴ったノンフィクション


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