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<純烈物語>東のホームグラウンド「東京お台場 大江戸温泉物語」の物語<第55回>

純烈大江戸温泉

<第55回>純烈にとって東のホームグラウンド「東京お台場 大江戸温泉物語」の物語

 “スーパー銭湯アイドル”として活動を続ける純烈にとって、現在のホームグラウンドと言える会場は西の「箕面温泉スパーガーデン」と、東の「東京お台場 大江戸温泉物語」になる。新型コロナウイルス禍までは定期的にライブをおこなっており、ファンにとっても馴染みの深い施設だ。  いずれも大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツ株式会社グループで、先に純烈が出演したのは箕面の方。2016年12月22日、大阪初の健康センターライブとしてそのステージに立った。  歌う場を求めていた純烈に、朝のテレビ情報番組を見た三蔵商事株式会社(相模健康センター、東名東厚木健康センター、草加健康センターを経営)の岡村篤秀社長が「ウチでやってみないか」と声をかけたのは2012年。それから4年かけて、大阪における活動の拠点を見いだせた。  レギュラー出演の座を獲得した純烈は「天空ライブ」と銘打ち月一ペースのステージを重ねていった。そうした流れで、同じグループであるお台場でもやろうという話が社内で持ち上がる。
東京お台場 大江戸

東京お台場 大江戸温泉物語

「会社の方から純烈さんのライブをやってみないかという打診があり、純烈さんもお台場でやってみたいという経緯で始まりました。ただ当初、当館はライブをやれる環境がなくゼロからのスタートで、本当にここでやれるのだろうかという探り探りの始まりでした」  そう語るのは企画販促マネジャー・平澤誠さん。現在、ライブで使われている大広間の中村座には音響機材も照明もなかった。とりあえず、どんなものかと箕面へ視察にいくと、そこで凄まじいものを目の当たりにする。
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ギッチギチの観客、しかも音漏れ目当ての人が溢れて……
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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